Corona Austrina

夜の始まりー1ー

「どうだ?」

 と、王太子が帰還した偵察隊に訊ねた。

「双方、密集陣ファランクスにて決戦の構えを取っております」

 ありきたりな戦場と言ってしまえばそれまでだが、穀倉地帯であるテレスアリアの国土は、ギリシアヘレネスにおいては珍しく平野部が多い。そのためギリシアヘレネスにおける基本的な戦い方――密集陣ファランクス同士の正面衝突をしやすいので、騎兵で側面や後方に回り込んだり、野戦築城で待ち構えたり、遠戦で削ったりといった戦術を発展させる必要は無かったのかもしれない。

 もっとも、それも既に古い考え方になり始めているがな。今のテレスアリアは、俺達による軍制改革の真っ只中なのだから。


「アーベル?」

 王太子に呼び掛けられ、俺は立ち上がって他の王の友ヘタイロイを見渡した。とはいえ、今回は比較的小規模な戦場なので、俺と王太子、あと……アデア以外に大身の人間は連れてきていないし、作戦会議用の天幕には十人前後の人間しか詰めていないが。

「ああ、把握してる。おさらいするが、今回の諍いはアリアクモン川の農業用水の取水に関するものだ」

 地図を広げ、河川を指でなぞる。

 湾曲していたりするが、元々何度も流れを変えた河川でもあり、源流の山には風穴が多く、おそらく大穀倉地帯であるテレスアリアの平野の形成にも大きく影響を与えた川だ。

「アリアクモン川は、グラモス山地から流れる長大な河川で、穀倉地帯を流れるため、水争いは元々多かった。他国と接していないが、要所なので要塞機能を兼ねた城塞都市セレトルム――まあ、今回の俺達の策源地でもあるが、その都市が発展した。山地で得られる毛皮や果実、平地の穀物を、水運を使って流通させているんだ」

 俺達が陣を張っている場所、そして、村争いの主戦場へと指を移す。

「衝突の原因はやや上流にある村が川から水を引いて貯水池を新設しようとしたことに端を発するものの、遠因は二年前に下流の村が灌漑用水路を新設した影響もある。向こうがやるなら、こちらも、ということだな」

 生産性に差が出て来て、貧富の差が生まれた。上流の村としてみれば、自分達だけが取り残されるのはとうてい容認できる話ではないのだろう。しかし、下流の村としては、費用や労働力を自分達で捻出し、中央の裁可を貰った上での水路建設であったので、言いがかりとしてしか見ていない。いや、それだけではなく、経済力に差がある現在、兵士の動員数や装備においても自分達に利があると判断し、水争いを続けてきた上流の村を滅ぼし、住人を奴隷とする好機とさえ考えているはずだ。

 実際問題として、農業は重労働だしな。奴隷が使えるならそれに越したことはないだろうし、それで上手く農地が増え、人が更に増え、余裕の出来た金で城壁を作れれば、都市化することも夢ではない。

 もっとも――、こちらとしては、変な利権だけ自己主張してくるようなさかしいだけの都市を増やしたくないし、関所も交易拠点もこことは別にある。この辺りは南部諸国と戦う際の防衛線を張るには不向きなので発展させる気はない。

 農奴ではないが、それに近いような無産階級であり続ければ良い。農産物を収め、有事には兵士を徴用するための供給地のひとつであれば良い。


「大きな川なんだし、どちらも認めればいいだけなのではないか?」

 アデアが不思議そうな顔で訊ねてきたので――付いて来ることは許可したが、口をはさんで余計な手間を掛けさすな、と、その眉間を人差し指で突いてから答えた。

「無節操に水を取られては川が枯れるし、水は撒き過ぎれば地の底の塩を呼び起こす。特に、アリアクモン川は穀倉地帯全体の主要な水源なんだから、流れは出来るだけ変えたくない」

 実際問題としてアリアクモン川には支流も多いので、比較的上流あまりこの辺りの土地で変なことをされたくは無かった。治水事業のやり直しや、街道の再整備なんて、めんどくさ過ぎる。

 本当なら、二年前の灌漑用水路の建設の時点で手を打つべきだったのだろうが、二年前は、テレスアリアのマケドニコーバシオ統治が始まったばかりであり、小さな村争いまで手が回らなかった。

 公文書館を調べれば、誰が処理した問題かはすぐに割り出されるが、今回は犯人探しに意味はない。

 起きてしまった事態をどう利用し、こちらの支配を強めるかが肝要だ。


「双方、どこまで譲歩する?」

 王太子の質問に、待ってましたとばかりに付近の耕地面積に関する資料を提示する。

「ここで重要なのが、周辺の開拓の余地だが――これ以上耕地を広げても労力に実入りが合わん。山を切り開かれて薪を得るのに難儀されても嫌だしな。半分以上は面子の問題だ」

 基本的に、農産物を得たいなら平野部の方が手間が少ない。むしろ、山を下手に切り開けば、材木や獣の調達に支障をきたす。

 そして、およそ歩いていける範囲の農業に適した土地は、既に開墾されていた。

 上流の村の貯水池建造の訴えで調査を進めていて気付いただが、今更、水を引いても大した意味など無かったのだ。

 多少、農地に水を運ぶのが楽になる程度。

 その程度の工事を、重要な河川で行なうことを許可する意味はない。

「正直、動員数は両陣営足しても三千未満。我々の五千で威力調停すればたいていは飲むだろう」

 と、若い……いや、俺が若いっていってしまうと変だが、俺よりやや年上の新参の王の友ヘタイロイが軽く言い放った。

 こいつ等は、王太子の帰還後に加わった王の友ヘタイロイで、最古参のアンティゴノスは苦労を知らない世代と呼んでいた。弱小国だったころの苦労を知らずに軍人になった者達。俺のように泥にまみれた旅を得ていない、帰化した異邦人。そういう人間だ。

 マケドニコーバシオの版図の広がりと共に、最近はこういう連中も増えた。

 良かれ悪しかれギリシアヘレネスの二大勢力と呼ばれるようになった今のマケドニコーバシオしか知らないため、やや自信過剰で人を見下すような癖がある。

 ……いや、俺がそれを言うのもどうかと思うが、なんか、俺や黒のクレイトスとかのそういうのとは、若干毛並みが違うんだよな。

 ま、だからこそこうして実地で色々経験をつませる必要があるんだろうけど。

「そうだな」

 と、俺は叱り付けたいのを我慢し、アンティゴノスから通達されている若い世代の教育のための答弁方法に則って、まずは同意してやり、そこから本論を離し始めた。

「ただ、押さえつけるだけならそれでも良いだろうが、何度も派兵しては国庫の負担が大きい。人口と地形から、水の権利を四:六とし、下流の貯水池を破棄させ、二つの村へと水を引く新規の水路建造を提案したい」

「灌漑事業の負担はどうされるので?」

「利権割合に応じて費用と人員を出させる。下流の村の方は反目するだろうが、現状、下流の村の方が発展しているので、いちにおける売上税を工事期間中には半分にし、税そのものも俺達が直接受け取るようにして、役人を使う経費を削減する」

 税金も色々な種類があるが、この付近で農産物に掛ける税を下げると税収にかなり響く。周囲からの反発もあるだろう。

 とはいえ、下流の村に対する配慮が無ければ和睦は難しい。

 ただ、発展しつつあるということは、商業の規模も大きくなってきているはずなので、通常売買の際に掛けている値段の五十分の一にあたる税金を百分の一とすれば、購買意欲は刺激されるだろうし、なにより水路建造における資材や人員の調達も容易になるはずだ。公共工事のための減税と言えば、周囲からの反感も減る。

 売買の規模が大きくなれば、税率を下げても影響は少ない。

 そして、基本的に徴税は村や都市に任せているので、中央への輸送費や人件費といった経費を上乗せした額を市民に課しているのが普通だ。減税したとしても、俺達が直接税を受け取り、経費を減らせば損は無い。更に、統治者が変わった混乱期に治水事業を通した都市の上層部は、納税の手間賃税の上乗せ分の利権を一時的に失うという懲罰つきだ。


 なにか、他に意見はあるか? と、連れてきている若い世代の王の友ヘタイロイを見回す。

 あるものは真面目な顔で、あるものは難しい顔をしていたが、口に出来るような意見は――。

「今、それを思いついたのですか?」

 どちらかと言えば気の弱そうな見習いがそう訊ねてきたので、俺は苦笑いで答えた。

「バカか、お前は」

 訊ねたヤツが身を竦めたので、その頭に軽く手を乗せ続けた。

「介入が決まった時から、財務の王の友ヘタイロイに根回しして、ここに至るまでに地形や経緯を調べ、複数の案を用意し充分に練ってるに決まってるだろ」

 若い王の友ヘタイロイ全体を見渡し、左から順に全員と目を合わせてから、戦場の空気を纏い、厳しさをもって俺は命じた。

「どんな時でも、準備を怠るな。経済力がある、兵が多い、装備は最新だ、だが、だからといって、油断をするな。優勢な時ほど、意外な一撃で崩れることもある。頭も身体も使い尽くせ。いいな?」

 どんなに良い法であったとしても、施行出来る武威が無ければ意味は無い。

 武威があったとしても、悪法の元で国は富まない。

 疎かにして良い事など、ひとつもない。

 若い王の友ヘタイロイたちは姿勢を正し、はい、と、声を揃えて返事した。

 改めて視線を向けると、それを満足そうに見ていた王太子は、よし、と、一声あげて立ち上がり――。

「出るぞ!」

 その号令を以て、皆が一丸となって天幕を飛び出しす。

 双方の軍勢が睨み合っているということで、いつでも出撃できるようにしていた兵士も、即座に整列し陣形を組む。

 春を告げる野の名もなき花が踏み散らされ、天へと帰る風に巻き上げられて消えていった。



 俺と王太子を先頭に一気に縦隊で進んだ後、両陣営が対峙している戦場が見えた瞬間に横列に展開する。両陣営の横腹を一息で噛み潰すような、半包囲の狼の広げた口のような陣形。

 不揃いな……中には農具で武装した者も混じる戦場に、突如として正規軍が現れたのだ。接近の情報はあったんだろうが、まさかこんな場所まで俺達が出てくるとは思っていなかったのだろう。

 抵抗する者はいなかった。

 それもそうだろう、いまや北の勇とまで呼ばれるマケドニコーバシオ正規軍、しかも名高い王の友ヘタイロイの赤紫の武具を身につけた騎兵。そして、ヴェルギナの太陽の紋章。

 逆らえるはずはない。


 双方の指揮者を跪かせ、王太子は和睦を命じた。

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