第325話

 ――落ち着け。

 仮にそうだとして、安治が狙われる道理がない。男が殺されたのに気づいたとして、それが子どもの仕業だと誰が思うだろう。もし関連を疑われても、知らぬ存ぜぬで通せば良い。

 いや――。

 道理はあるのか。あの男の殺害とは関係なく、マチの人間を殲滅したい輩は存在するのだから。子どもであっても関係ないはず。

 ――なんで?

 家族を殺した死神のような男を思い浮かべながら問う。答えは返ってこないし、理由を知ったところで納得できるとは思えないけれど。

 抑えていた恨みがわき上がりそうになり、慌てて首を振る。幼い頃から何度も両親に言われた言葉が、もう聞くことのない声とともに蘇る。

 ――人を恨むんじゃないよ。

 それは無駄なことなのだから。

「――恨まない」

 一言、強く言い切って、嫌な記憶を振り払う。

 恨んでいる場合ではない。過去を振り向いている場合ではない。『今』、自分には他にやるべきことがある。

 ――逃げ切れる?

 首回りの不快な汗を拭きながら思考を働かせる。道ではなく木々の間を抜けているとはいえ、前方の人影を追えるくらいの見通しは利く。

 隠れたほうが良いだろうか?

 すぐに考えを否定する。よほど都合の良い隠れ場所でもない限り、隠れても意味があるとは思えない。足下は音が立ちやすい状況だ。隠れても、こっそり移動できなければすぐに見つかってしまう。

 それにしても、どこから来たのだろう。たま子たちは無事なのだろうか。

 ――もしもう捕まっているのなら。

 逃げる必要もないのかもしれない。二人が無事でないなら、自分だけ助かっても……。

 そう気づいて後ろを振り返る。人影は見えなかった。上がった息を整える。

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