第356話

「――最初の話が一番怖い」

「どんな話?」

 訊くとタナトスは本を両手で持って顔の前に構えた。国語の教科書を読むような改まった態度で音読を始める。

「――私はエマ。中学一年生。この街に引っ越してきたのには理由があるの」

 聞きやすくはあるものの、まだ文章を読み慣れていないぎこちなさを感じさせるゆっくりした読み方だった。

「それは、両親の離婚。今まではお父さんとお母さんと妹のレナと、四人で大きなおうちに暮らしていたんだけど、これからはお母さんとレナと私だけで、古いアパートに暮らすことになったの」

「重い」

 思わず呟き、音読を中断させてしまう。慌てて「何でもない。続けて」と先を促す。

「今まではお母さんはいつも家にいて、私が学校から帰るのをおやつを用意して待ってくれていた。でもこれからは、お母さんが毎日お仕事に行かなきゃならないんだって。だから私は、自分で自分のことをするように言われた」

 ――最近は片親家庭が増えているから、子ども向けでもこういう話なのか?

 タナトスの邪魔をしないよう、心の中で呟く。

 ――こんなの、うちの親が読んだら……。

 考えて苦笑する。安治の母親は専業主婦で「子どもが自立するまで母親は家にいるべき」という考え方の持ち主だった。同級生の母親が働いているのも良くは思っておらず、ましてや片親家庭など、まともな家庭ではないと考えている節があった。

 そんな彼女がこの本を読んだら「子ども向けでこの内容は常軌を逸している」と激怒して出版社に苦情を入れたかもしれない。

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