第387話

「北条さんのところに行く。急ぐ」

「……うん」

 頭に疑問符が浮かんだまま、今は考えている場合ではないと足を動かす。今度はタナトスが先行して安治の腕を引いた。見えてはいないはずなのにタナトスは自然と影の塊を避け、掠っても難なく通り過ぎた。

 北条さんは焦ることなく、涼しげな表情で二人が駆け寄ってくるのを待っていた。

「よお、平気そうだな」

「エロス」

「え?」

 タナトスがまず恋人の名前を呼んだことに安治は驚きを覚えた。真っ先に電話をかけてきた彼女はしかし、見える範囲にいない。今の一言は北条さんに「エロスは一緒ではないのか」と問いかけたのだろう。

 ――心配してる?

 胸の奥がこそばゆくなる。普段はエロスに対して冷淡でも、こういう場面では真っ先に心配するのか――微笑ましさに頬が緩んだ。

 ――後でエロスちゃんに教えてあげないとな。

 対して、北条さんが感動する素振りはない。

「おう、あいつは駄目だ。廊下でダウンしてる。あっはっは」

 ――何が面白いんだ。

 内心で白眼視しつつ、当然口には出さない。

「なんで北条さんは平気なんですか」

「それは俺が神だからだな」

「はあ」

 よく咄嗟に出てくるものだ。

 しかしあながち嘘とも思えなかった。周辺に溜まっていた影が近づいて来ないどころか、仰け反ったり、手を伸ばしかけて躊躇する動きまで見られたのだ。

「ひょっとして、特効薬でも持ってるんですか?」

 真面目に問うと、今度は表情を改めてわずかに苦笑する。

「だと良いんだけどな。正直、理由はわからん」

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