第81話

「あれ?」

 水はどこに行ったんだろうと思わず声が出る。その声の聞こえ方がいつもと違う。何だか籠もっているようで鈍い。

 濡れている感じはなかった。少しひんやりした感じはするものの、服も髪もまとわりつくことはなく気持ちいい。ただ密度の高い空気に包まれているような、自分がその中にいるという感覚はあった。

 気づいたら全身が廊下に出ていた。左右を見回す。と、足が床を離れてしまった。驚いて膝を曲げると反動で頭が下になり、ふわふわと反対側の壁に流された。

 無重力体験とたま子が言っていた理由がわかった。聞かずにいたら相当焦っていたかもしれない。

 身体がひどく軽い。泳げるのは水中と同じだけれど水圧すら感じないので、身体から抜け出した魂が空に浮かんでいるような気分だ。

 せっかくなので天井に足をつけて直立してみた。開いたドアから自分の部屋が逆さまに見える。

 面白いな、と思ったとき、目の前を小さな魚が通過した。素早い動きで、鱗が金色に光っているのだけはわかった。

 魚が来たほうを見る。果てしなく長く見通しの良かった通路が、今は遠くにいくほど暗い。その暗がりから大小の生き物が続々とこちらに向かって来ていた。

 安治は部屋に戻ろうかと思った。しかし向かってくるものたちの勢いが強い。横切る途中でぶつかっても嫌なので、そのまま壁に背中をつけて天井に立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る