食堂

第63話

 追いついた安治は、たま子の冷たい口調にもめげず食い下がった。

「Wi-Fiないの?」

 それは――困る。知らない部屋で知らない人に囲まれて目が覚めるよりも辛い。ある意味、生活に必須のライフラインではないか。

 たま子は呆れた顔と口調になった。

「お前、今までの端末が使えるとでも思ってるのか?」

「――え?」

 途端に冷静になる。そうだ、自分の記憶は偽物なのだ。スマホが手放せなかったのも、記憶の中の話だ。

 そして思い出す。自分はスマホを持っていない。

「あれ――」

 思わず立ち止まり、何も入っていないポケットを撫でる。そういえば今日は一度も触っていない。見た覚えすらない。

「どうした」

「あの、ここって――スマホとかないの?」

 たま子の眉間に皺が寄った。小声で「その単語は使うな」と警告する。

「あ――ごめん」

「アバカスはあるぞ。お前がイメージするのとは多少違うだろうが」

「アバカス?」

「端末のことだ。ネットワークでつながる端末の総称。大きいのから小さいのまである」

「ああ、パソコンとかケータイってこと? それって俺は持ってない?」

「いや、連絡用の端末だ。全員持ってる。多分部屋にあるだろ」

「あ、そうなんだ。……おりょうちゃん、教えてくれなかったな」

 呟いた瞬間、たま子の顔色が変わった。唇に人差し指を当ててシッと言う。

「え、何?」

「姐さんの名前を出すな」

 言いながら周りに目線を配る。声が聞こえそうな範囲には誰もいないのを確認して表情を戻す。

「あ……俺と付き合ってるって――」

 知られたらまずいのか。

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