第36話

「あ、じゃあ、大学生?」

「いえ。――そういうのはありませんから」

「そういうの?」

 問うと、おりょうは言葉の代わりに微笑みを返した。答えたくないのか、今は説明する場面ではないと思ったのか。

 もちろん、一度にあれこれ訊くのは負担だとわかっている。問うのは簡単だが、理解できるまで説明する側は容易ではない。

 しかし一つだけ気になった。

 ――ここは。

「ねえ、ここってどこなのかな。東京じゃないんだよね?」

 とはいえ今までに会った人は皆標準語だった。東京周辺ではあるのかもしれない。

 おりょうは表情を変えず、安治を一瞬見つめた。意味深な気配にどきっとする。

「ここはマチです」

 おかしな答えだった。

「マチ……っていう地名?」

「マチは街です。タニとも言います。私たちはそう呼んでいます」

「ふうん……。都道府県で言うとどこ?」

「どこでもありません。ここは日本ではありませんから」

「え――」

 ショックを受けかけて思い出す。

 そうだ、前提が間違っているのだ。自分の記憶はすべて偽物なのだ。だったら日本というのは、自分の記憶の中だけのものなのかもしれない。

「あの、じゃあ、日本ていう国が存在しない――ってこと?」

 冷静を装いつつ、問う声が微妙に震えた。日本が存在しない――。自分がどこの誰かわからないことより寂しい気がする。自分にも日本にも欠点は散々あるけれど、少なくとも日本のほうが長所が多い。

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