第215話

「――――ッ」

 突然たま子が口元を押さえて首を横に振った。すぐに冷静さを取り戻したと思うと、安治の手首を掴む。

「どうかした?」

 訊いた安治の声に気づいてスタッフの男も振り返る。たま子は慌てて自分の左足を撫でた。

「何でもない。……飛び出してた木の根っこに爪先を引っかけたんだ。ちょっと……痛めたかも」

「えー、大丈夫、お姉ちゃん?」

「挫いちゃいました?」

 近づいて来ようとするスタッフを手振りで制止する。

「平気です。歩けます。……ちょっと遅れるかもしれないけど」

 そのとき、スタッフの背後で琥太朗がこっそり、こちらに向かって親指を立てるのが見えた。いつから着けていたのか、その手には紺色の手袋がはまっている。

「いいよ、お姉ちゃん、ゆっくり来なよ。お兄ちゃんと一緒だから大丈夫でしょ。ね、トイレって、みんなでいっぺんに行かないほうがいいんだよね?」

「ああ、うん。そうなんですよ。だからゆっくり」

 スタッフの顔に自然な笑みが浮かんだ。まるで好都合だと言いたげに見えるのは、先入観からだろうか。

 たま子は真顔で頷いた。

「……わかりました。のんびり行くんで、先に行ってください」

「道は一本道ですから。ここをまっすぐ来てくださいね」

 言うとスタッフは、むしろ先を急ぐように歩き出した。琥太朗もはしゃぐふりをして、手袋を着けていないほうの手で意図的にスタッフの手を握り直す。

 距離が離れていくのをもどかしく思いながら、安治はたま子に顔を寄せた。

「いいの? 先に行かせて」

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