第438話

 近くのデスクで作業をしながら聞いていたたま子が、しゃべれない安治を代弁するように口を挟む。

「感覚としては難しいよな。大体願いってのは、努力しないと叶えられないもんだ――って刷り込まれてるからな」

「メェ」

「メェ」

「叶うのが当たり前って思ってるなら、それは願いだとも自覚しづらいしな」

「その通りです。ですので、最初のうちは『願ってないことが叶った』と感じられます。きっと、今の安治くんがそうだと思いますが」

「……メェ」

 微妙な心境がそのまま曖昧な鳴き方になる。

 確かに、意識的に願ったわけではない。願うというより、ふと思いついたのだ。

 ヤギになる可能性を思いついたときに、きっとそうなるという確信がわいた。そうなってほしいと願ったのではなく、そうなってしまうだろうと確信したのだ。結果、見事に実現した。

 ただ、嫌だと思えば途中で阻止することはできたのでは、とも思っている。でも阻止したい気持ちがそれほど強くなかったので、ヤギになることを自分に許したのだ。

 だからある意味、願って叶ったのだ、という気がしている。

 ――これが願わずして叶える感覚だろうか?

 思ったが、言葉にして問うことができない。

「メェ」

 タナトスが面白半分に適当な鳴き真似をした。その白い髪と白い肌、飄々とした顔を見遣る。

 ――こいつこそ、ヤギに向いてるよな。

 安治は自分の隣に座るのが、角の小さな真っ白い、可愛らしい子ヤギであるところを想像した。

 途端、視界の端で小さな光を感じてどきっとする。

 ――光った?

 視線を落として気がつく。今はヤギの姿だ。前足の蹄に指輪はない。周りの人間たちも特に何の反応もしていない。

 ――錯覚か。

 きっと何かに光が反射したのが視界に入っただけだろう。

 ――でも。

 指輪はどこにいったのだろう、と疑問に思う。

 前回、人間に戻ったとき、安治は服を着ていた。ヤギになる前と同じ姿に戻ったのだ。

 ヤギでいる間は当然、服も指輪も着けていない。ということは、一見裸のようなヤギの姿と、服を着ている人間の姿は同じ状態なのだと推測できる。

 つまり今も安治は指輪をしていて、それは作動しているのではないか?

 そんな考えが浮かんだ。

 タナトスを見上げる。指輪が光ったのならタナトスはヤギになるはずだが……その兆候は見られない。

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