第73話

 どっちと言えば、

 ――所長。

 あの人は――どっちなのか。

 見た目は完全に男性だった。化粧もしていないと思う。でもあの話し方は――女性だろう。

 食堂で会ったカップルを思い出す。若い男性の二人連れ。あれは多分カップルだ。

 名前は何と言ったか。男っぽい名前だったのは覚えている。ここではきっと、名前や見た目で安直に性別を判断してはいけないのだ。もしくは性別と恋愛対象が画一的ではない。

 ――姐さん。

 たま子はおりょうをそう呼んでいた。女性として扱っているのか。

 おりょうは――。

 今日見た中で断トツの美人だ。比べるとよくわかる。

 だから「姫」なんだろう。よくわからないけど。きっとアイドル的な存在なのだ。

 ――クローンだ。

 たま子の言葉が頭の中で甦る。

 唐突に寒気が走った。

 ――クローン? 俺が?

 やっと実感がわいた。

 腕を撫でる。何だか気持ち悪い。両親の子だと思っていたのに、実は母親の浮気相手の子だったと知ったときのような。そんな経験はないけど。

 勝手に暗黙の了解だと思っていたことが、実は自分だけの思い込みだったと気づかされたときのような、誰が悪いわけでもないのに裏切られた感じ。

 ――なんだそれ。

 果たして自分にはそんな経験があるのだろうかと疑う。持っている記憶はすべて偽物で、ひょっとしたら今朝生まれたばかりかもしれないのに。思い出すべき記憶、疑うべき常識が自分にはあるのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る