第300話

 人の身体は長持ちだ。適切な手入れを怠っても数十年くらいはちゃんと動き続ける。まめに手入れをするなら百年でも。

 そんな家電を作りたい。手入れ次第で百年持つような。放っておいてもその半分くらいは持つような。そのためには家電自身が、自分の世話を最低限はできるようにしなければならない。

 自分は家電に例えると何だろうとたびたび思う。

 多分――何でもない。家電は、人に愛されている。愛されなくても役に立っている。人に感謝されようとされまいと、人のために一生を捧げて終わる。純粋な存在だ。

 自分は人に愛されていない。役に立っていないのだから当然だ。人のために尽くしているわけではない。ただ自分がやりたいことをやっている。身勝手極まりない存在だ。家電とは対極の存在だと自覚している。

 家電の中で一番好きなのは何だろう。

 洗濯機――はもちろん好きだ。家族分の洗濯という重労働をいとも簡単に肩代わりしてくれる。干して乾かすという作業さえ一任することができる。力強いだけでなく、洗うものによって挙動を変える繊細さも持ち合わせている。

 加えて視覚的にもいい。透明な蓋を通して洗濯物が回転している様を見ながらのティータイムは、ここでの単調な生活において最大の癒やしであり、ちょっとした娯楽でもある。

 同じ理由で掃除機も好きだ。箒やハタキ、フローリングワイパーや粘着ローラーなどで代用が利くわりに多くの人に必要とされているのは、その存在が便利なだけでなく、見た目が良いという理由もあるだろう。

 家庭にあり人が手に持って使う機械の中では、使用頻度が高いわりにいかにも機械らしい見た目を有している。その機械らしい見た目にこそ人は惹かれるのかもしれない。

 空気清浄機やドライヤーのように局所的な働きをする家電も好きだ。常に必要なわけではなく必須でもないけれど、特定の場面においてはその存在のおかげでよりよい状態を作り出すことができる。

 洗濯は機械を使わずに人の手でもできるが、空気清浄機やドライヤーの代わりを人が務めことはできない。機械ならではの仕事だ。そう考えると珍重したくなる。

 しかし最愛は――冷蔵庫だろう。

 何といっても、人のために働く時間が違う。一旦、人の家に設置された冷蔵庫は、おおよそ故障するまで延々働き続ける。

 照明やエアコンなども稼働時間は長い。しかし無人のときにまで点けてはおかない。いくら留守の間も点けっぱなしにする習慣のある人でも、一週間外泊するなら切って出かけるだろう。

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