第165話

 それに気づいても、戸田山は反省するよりただ落ち込むだけだ。危機管理はドクターの仕事ではない。

「そんな……だって僕、ただの研究者ですよ……」

「わかってるわよ。誰もあんたに期待してないから安心しなさい」

 何の慰めにもならない言葉に戸田山がさらに落ち込んだ頃、通路で続く別室にて、おりょうは所長と対面を果たしていた。

「急で申し訳ありません。ご報告しておいたほうがよろしいかと思いまして」

 軍人のように自分を律した態度で部屋の主に声をかける。中央の机で書き物をしていた主はゆっくりと顔を上げた。

 部屋の中は一面、夜空だった。夜空に机と来訪者が支えもなく浮いている。

 視線を上げるとまるで宇宙空間だが、見下ろすと遙か下に夜景が見えた。特徴的なオレンジの光の塊は、知っている人にはそれが東京タワーだとわかる。

 部屋は異様に広かった。もっとも、暗いので、実際の夜空がそこにあるのか、壁と天井に映像が映し出されているだけなのか区別はつかない。

 しかし遮るもののない空間を柔らかく吹き抜ける風があった。おりょうの髪とスカートが断続的に優しく揺れる。

 二人の距離は一〇メートルほども離れている。それでも他に音がないので、お互いの声は容易に届いた。

 おりょうは目に映る光景に意識を奪われなかった。もし景色を楽しむ余裕があったなら、絵本の中にでも入ったような気分を味わえたことだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る