第303話

 私が本当に向き合いたいのは、冷蔵庫という名の家電ですらなく――あのとき守れなかった、あの、メタリックの古めかしい――。

 エレベーターに飛び乗って行き先を告げる。

「カラフルスクワッシュ、冷蔵庫チームがいるところへ」

 もうずいぶんと昔、白衣を授かる以前にも同じ注文をしたことが一度だけある。そのときはチームの噂を聞いて、興味本位で覗いてみたいと思っただけだった。

 そのときのエレベーターの答えは「ソノ行キ先ハ指定デキマセン」だった。

 今回は違う回答を確信していた。

 機械の合成音が聞き返してくる。

「高木班長ノ元デヨロシイデショウカ?」

 ――高木班長?

 ぞくっとした。班長に会えるということは……転籍の打診ができるということだ。

 息を一つ吐き、改まった声音で返す。

「そこに頼む」

 音もなく動き出す箱に身体を預けながら、私は自分の変化に気づいていた。

 私はほんの数分前まで、洗濯機の改良に全身全霊を傾けていた。やっとイメージが浮かんだことに生きている喜びを覚えた。実は本命は冷蔵庫だったなんてことは、ない。

 今のこの思考と行動は、私が選んだものではない。選んだのではなく、選ばれたのだ。

 きっと、冷蔵庫チームに欠員が出たのだろう――。のチームがそういう存在だということは聞き知っている。

 サクラやチームメンバーの顔が頭をよぎった。すまない、途中で投げ出す形になって。私はじきに、これが運命かどうかを考えることもできなくなるだろう。自分が何のために生きているのか、何が正しくて何が楽しいのかを考えることもできなくなるだろう。

 そうだとしても、後悔や無念さはない。私は今までに十分、身勝手にわがままに生きてこられた。ときに不満を溢し、ときに怠惰を貪り、傲慢で卑小な人でいられた。

 この先は、与えられた使命を無私無欲にこなすだけの存在になるのだ。そう、家電のように。冷蔵庫のように。

 ――やっと役に立てる。

「到着シマシタ」

 勿体をつけることもなく扉が開く。そうだ、これは、太陽が昇って沈むようにごく自然な流れなのだ。

「ようこそ」

 汚れた白衣に伸び放題の髭、眼光ばかり鋭い人物が出迎えてくれた。

 私は一つお辞儀をして名乗る。

「初めまして。私は――冷蔵庫チームの秋元です」

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