第238話

 元凶であるはずの北条さんの姿はなかった。所長は一人困ったような表情で、みち子と話し合っている。

「本当にもう、ろくなことしないんだから……」

 とは、北条さんに対する愚痴だろう。

 一応上司なので挨拶くらいはしておいたほうが良いだろうと思い、近づいて一声鳴いた。

「メェ」

 どういう意味に取ったのか、所長は慰める態度で、

「ああ、大丈夫よ」

 と返してきた。

「きっと今日寝れば明日の朝には戻ってるから。一日の辛抱だと思って」

「メェ」

「とりあえず今日、どうするかよね」

 そう言ったみち子には特に悲壮感も焦りもない。

 みち子はスカートを穿いている。その下はストッキングだ。丈は膝下まであるので、座っても下着が見える心配はない。ただしいつもより目線が低いので、ちょうどふくらはぎに目が行った。なかなかの脚線美だ。

「そうねえ。多分、問題ないとは思うんだけど」

「大丈夫よ。何も心配ないわよ」

 言ったところで、背後のドアが開く気配がした。

「う? ヤギがいる」

 心なし嬉しそうな声だった。

 ――タナトスか。

「メェ」

 振り返って声をかける。タナトスはまた「ヤギがいる」と言いながら三人のもとへやってきた。

「タナトス」

 神妙な面持ちで所長がタナトスを呼ぶ。

「あのね、このヤギはね、安治なの」

「このヤギはアンジ」

 素直に復唱したタナトスを、みち子が訂正する。

「名前を言ってるんじゃないわよ。昨日一緒にいたでしょ。教育係の安治。それが今日はこの姿なの」

 タナトスは少しきょとんとしてから、

「今日はこの姿」

 と復唱した。

 所長が首を横に振る。

「それだとあの子が変身できるみたいじゃないの。違うの。安治は人間。でも今日はヤギになってるの。多分、今日だけ」

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