第237話
八木さんが立ち上がり、背を向けたまま尻尾をぷるぷるっと振った。次の瞬間、
「到着しました」
の声と同時に扉が開いた。
――あれ。
出たところは、以前降りたところとは違っていた。
一つの地区にエレベーターの出口がいくつもあるのだろうか。それともヤギ用だから違うのだろうか?
そういえば目指す研究室の番号を忘れたことに気がつく。しかし問題はなかった。通路でみち子とたま子が待ち構えていて、視界に入るなり「ああ……」と肩を落としつつ息を漏らしたからだ。
安治は表情筋の乏しい顔で笑った。きっと二人は、安治がヤギを苦にしていると思って気を揉んでいるのだ。実際には、当事者より他人のほうが戸惑っているくらいだろう。
八木さんは二人の前で立ち止まると、一つお辞儀をして踵を返した。みち子が「どうもありがとう」と声をかける。どうやら案内はここまでらしい。
軽く見送った後、みち子はやや複雑な表情で残ったほうのヤギを見た。
「あんた……安治よね?」
「メェ」
答えた瞬間、たま子がぶは、と豪快に息を吐いた。笑っている。
「ず、ずいぶん可愛くなったな」
我慢できない様子で、遠慮なくべたべたと全身を撫でられた。致し方ない、と安治は満足げに思う。年配の八木さんと比べても、自分は確かに可愛い。
室内に入ると今度は戸田山がおかしな声を上げながら抱きついてきて、たま子の倍も撫でられた。
この先、どこへ行ってもこうなのだろうか……と思うと、早くもうんざりする。あまりに人気者なのも辛い。
周囲に癒しと娯楽を与えられるのは嬉しいのだが。
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