第236話
「決定」を押すと速やかに動き出すのがわかった。
――簡単だな。
よくあるタッチパネルだ。行き先がわかりさえすれば問題なく操作できる。
確認するように八木さんが視線を向けてきたので、安治はこっくり頷いた。
到着までの短い時間、八木さんは慣れた様子で手足を折り畳んで腹這いになり、口をもぐもぐさせていた。直前には何も食べていないのに咀嚼している。これが反芻なのだろう。安治は八木さんの後ろに立ったまま、何ということのない壁を眺めていた。
いつもと景色が違う。地面が近い。目線の高さが違うというだけでこれほど世界が違って見えるのか――。
――みんな同じ世界に生きてるわけじゃないんだな。
突然そんなことを思った。
アパート暮らしで求職活動をしていた当時、周辺でよく見かける野良猫がいた。野良猫なのは間違いないはずなのに、安定した餌場があるのか、体格も毛艶も良い猫だった。
その野良猫を見るたび、自分とは生きる世界が違う――とぼんやり思っていた。それは、自分は生きるために自力で稼ぐ必要があるけれど猫は稼ぐ必要がない――というような、不公平さがくすぶる思いだった。
不公平を感じるということは、本来なら皆同じはずなのに、という考えが根底にある。猫も自分も同じ世界で生きているのに自分ばかり苦労をしている、と思っていたわけだ。
実はその『世界』というのは、自分の目線のことでしかなかったんだな――と気づいた。
皆が一つの同じ世界で生きているわけではない。世界はたくさんあって、皆それぞれの世界で生きているのだ。
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