第93話

 女性は更に目を細め、唇を突き出して心配顔を作る。

「やだ、無理しないで。私のほうが心配で体調崩しちゃう」

 わざとらしいくらいに可愛い言い方だった。それがいつものしゃべり方なのかもしれないが、どうも媚びを売っているようで印象は良くない。

「……はあ……?」

 ――誰なんだ、この人。

 どういう関係なのか想像しようにも、さっぱり見当がつかない。友人なのだろうか。いくら濃いめのギャルメイクをしても年齢はごまかせていない。おそらく三〇代後半以上だ。ひょっとして、みち子や所長を介しての知り合いだろうか。それなら無碍にもできない。

「具合悪いなら、どっかで休んだら?」

 そう言いつつ、女性は安治の腕に両手で抱きついた。瞬間、悪意のようなものを感じて鳥肌が立った。慌てて振りほどく。

「あの、用事があるんです。今、待ち合わせ中で……」

 しどろもどろの言い訳をする。まだ背中がぞくぞくしている。

 安治は昔から妙に直感の鋭いところがあった。どちらかと言えばぼんやり生きているのだが、付き合うべきでない人や危険な場所などに近づくと、本能からの知らせのようなものがあるのだ。

 今のは悪意――というより、下心だ。この女性は多分、安治に気がある。それが純粋な恋愛感情なのか、利用したいだけなのかは区別がつかない。

 たとえ前者であっても、恋人のいる現在は関わるべきでない。再び摑まれないよう、両手を体の前に出してガードしながら「すいません、用事が」と後退りする。

「なんで警戒するの? 心配してあげただけじゃない」

 女性はあくまで女の子っぽい仕草で不満を告げる。

「すみません」

 何に謝っているのか自分でもわからない。それでも他に選択肢が浮かばなかった。怒らせないよう気を遣いながら、そろそろと棚の間に逃げ込む。

 幸い、追ってくる素振りはなかった。安治は死角に入ったところで、慌てて入り口を目指した。

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