第422話

 二メートルも離れていないところにそいつはいた。全身真っ黒な人型がドアの脇に浮かび上がっている。しかし今は――。

 ――目がない?

 疑問に思ったのも一瞬だった。

 真っ黒な頭部に金色の二つの目がぱちっと開き、迷いなく安治に向けられる。

「うわあッ」

 思わず叫んで腰を抜かす。さすがに支え切れなくなったたま子が「おいおい」と呟いて膝をつく。

「み、見えるでしょ、たまちゃん?」

「何がだ」

「ヤツハシだよ! 他のと違う……大きい……全身の、あ、脚がある……」

 たま子はそちらを一瞥した。すぐに興味を惹かれない素振りで、

「そんなのはいない」

 と冷静に否定した。

「え? え?」

 予想外の反応に戸惑う。たま子なら確実に見えるはずではないか。

 室内の他のメンバーはなおのこと、何が起きているのかわからない。怯えたほうがいいのか、無視してかまわないのかの判断すら迷う様子だ。

 悪夢を見た子どもを宥めるように安治の頭をぽんぽんと叩くたま子。

「大丈夫だ。何も起きていない」

 それは全員に向けた発言だった。たま子がそう言うのならそうなのだろう……という空気が室内に流れる。

 安治だけは混乱が大きくなる。

「何もないって……何も……」

 ならば今見えているこれは何なのだ。

 自分を見つめてくる瞳を見つめ返す。先に視線を外したほうが負けのような気がして、じっと睨み合う。

 軽く溜め息をつき、たま子は上司にお伺いを立てた。

「少し休ませたい。奥の部屋に入れてもいいですか」

「いいわよ」

 返事は軽い。

 たま子は腰が抜けている安治を抱えて立たせると「こっちだ」とキッチンのほうへ誘導した。

 どこへ行くのかと疑問が浮かんだのも束の間、戸棚の向こうに引き戸があるのに気がついた。その先に別の空間があるらしい。

 ――隠し部屋?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る