第394話

「……な…………ぃ……」

「……ぉ……ぐ…………ぅし」

 影に覆われた人たちは、それぞれに小さく言葉を発していた。泣き声にもお経のようにも聞こえるその声は、おそらく何かを伝えようとしている。

「何かしゃべってるよね?」

 たま子に訊く。たま子は苦い顔で首を横に振った。

「聞かないほうがいいぞ」

 そう言われると気になってしまう。安治は影を触らないよう気をつけながら、みち子の後頭部に耳を近づけた。

「……ね、しね……ね……るさない……ない……だけ……」

 数秒もしないうちに、たま子と同じ表情になって離れる。

 ――死ね、許さない?

「誰を?」

 答えを期待したわけではなかったが、呟くとすぐにたま子が応じた。

「元カレだな」

「元カレ? ……そんなひどい別れ方したの?」

「姐さんはいつもろくな別れ方をしない。天性の恋愛下手なんだ」

 もっともらしい顔で頷きながら言う。はたして冗談なのか本気なのか。

「美人なのに」

「モテはする。そのたびに世界一嫌いな男が更新されるんだ」

「ふうん。男運が悪いんだ?」

「どちらかというと、見る目がないんだろ」

「ああ、自ら駄目な男を選んじゃうってこと? 面食いとか?」

「お前のこと、見た目は可愛いって言ってたぞ」

「…………」

 目の前の人物はそれをどういう意味で言ったのだろう……。気にはなったが、知って傷つくのも嫌なので、確認はしなかった。

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