第210話

「まだしばらく後だよ」

 不意に冷静な声が耳に届いた。見れば琥太朗が顔を上げている。その瞼はいくらか腫れぼったい。

 予想通り、ことはゆっくり進んだ。まずバンダナのスタッフが降り、それから最初の数人が降りるまでに一〇分ほどかかった。その後も五分から一〇分ほどの間隔で数人ずつ降ろされる。

 二回目に戻って来たときにスタッフは言った。

「トイレの近くに休憩できる場所がありました。そこに食べ物も用意しましたので、トイレが済んだ方はしばらく休憩してから戻ってください。座りっぱなしだと身体に悪いですから」

 親切な物言いに、まだ当分は降りられない人たちの間にもほっとした空気が流れた。

 開いた扉の向こうに見えるのは夜の空と木立だ。きっとソトの人間もそれほどはいない時刻と場所なのだろう。

 人数が減り出したのも手伝って、それまで押し黙っていた人たちがいくらか気楽にしゃべり始めた。

「ソトって言ってもどの辺なのかね。どこに行くんだろ」

「ひょっとしたら、どこか山奥でまた、自分たちでマチを作るんじゃないの? ソトの人間に混じっては生活できないはずだから」

「だったらいいんだけど。家族でいられるんなら、どこでも」

「東京に行ってみたい……」

「マチにはもう帰れないのかな……」

 たま子は何も言わず、やっと顔を上げた琥太朗を嬉しそうに見つめていた。

 その琥太朗はたま子にも安治にも注意を払わず、扉が開いたり閉まったりするのを真剣な眼差しでじっと見つめていた。

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