第375話

 そう、見えていない。見えない以上、安治がシラクサであるという証拠はない。むしろ、見えないのはシラクサではないから――かもしれない。周りの人が勘違いをしたり嘘をついているだけで。

 ――どっちなんだ。

 不意に胸の奥がざわめいて、自問せずにいられなかった。

 自分はあの機能不全家庭で育った子どもでありたいのか。そうでなくなりたいとずっと思っていなかったか。記憶が偽物だと聞いてほっとしなかったか。もう誰も恨まなくて良いのだと。可哀想な姉を心配しなくて良いのだと。

 なのに今、本当に記憶が偽物かもしれないと知って動揺している。何だこの感情は――。

 青い顔で黙り込んだ安治を見て、タナトスがいくらか心配そうな顔をする。

「安治、具合悪い」

「……いや」

 そのときだった。室内に複数設置されていたらしいスピーカーから一斉に奇妙な音楽が流れ始めた。気持ちを不安にさせるような嫌な音楽が大音量で鳴り響く。

 それに驚く暇はなかった。ほぼ同時に個人の端末からも大音量のアラームが鳴り始めたからだ。

「え、え、何?」

 正面を見ればタナトスもぽかんとしている。よくある状況ではないらしい。遠くにちらほら見える人影も、一様に戸惑っている様子だった。

 端末を確認する。大きな赤文字で「バイオハザード警報」と出ていた。

「……は?」

 ゲームの宣伝か? と一瞬思う。すぐにここが研究所であることを思い出し、そんな悠長な話ではないのかもと息を飲む。

 どこかへ移動したほうが良いのか、じっとしていたほうが良いのかもわからない。ただきょろきょろしていると、じきに受付にいたエンケパロスが駆けて来た。

「タナトス様、安治様」

「は、はい」

「みち子班長からの指示です。私がエスコートしますので、誘導に従ってください」

「はい……」

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