第321話

 たまにマチで噂になる冷蔵庫も見たことがない。

 いつだったか、寺子屋で子どもの一人が通学途中に冷蔵庫を見たと言って騒いでいた。おかげで好奇心をそそられた年少の何人かが徒党を組んで見に行くことになり、安治もそれに付き合った経験がある。

 野次馬根性からではない。一応は危険と見なされている行為だったので、事情を知った以上は看過できないという、純然たる責任感からだった。

 結果、安治には見えなくてほっとした。

 ところが一人が「本当にある!」と必死の形相で喚き始めた。その子の様子に恐怖を覚えたのか、それとも怪談を信じたのか、他の子たちが全員泣き出してしまい、ちょっとした混沌状態になった。

 年長者とはいえ、自身も子どもなので手に負えず途方に暮れていると、そのうち寺子屋の職員が駆けつけて来て、職員にも親にも叱られる羽目になった。

 あのとき「見える!」と騒いだ子は狂言だったのだと未だに信じている。ひょっとしたら本人には本当に見えていたのかもしれないけれど、それすら子どもにありがちな脳の悪戯で、実際には冷蔵庫などなかったのだ。

 だって自分には見えなかったのだから。

 本当にあると言うのなら、誰の目にも同じように見えなくてはおかしいではないか。

 そう思う。

 そう思いたい。

 そう――信じさせてほしい。

「憑いてるって――何が?」

 聞きたくないと思いつつ、答えを知らないと余計に嫌なことを考えてしまいそうで、仕方なしおずおずと問う。

 反対にたま子は毒気を抜かれたような顔をした。安治に心当たりがないのが真剣に予想外だったらしい。

「何がって……ダイモンだよ。聞いたことくらいあるだろ」

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