第419話

 規則的な音が小さくなるまで、誰も何も言わなかった。まだ香りが残っている。

 魂を奪われたように呆然と、もしくは魂を吹き込まれたように陶然としている一同。

 そのせいで水壁の終わりが近づいていることに気づくものはなかった。

 四人は突然、現実に引き戻された。宙に浮いた状態から床に落ちるという形で。

 安治は膝と手首を床に打ちつけながら、重力の重さを実感した。

「ぐぅ……」

 痛みに悶えて床を転がる。

 ちょうど正座の体勢で難なく着地したらしいタナトスが一早く問う。

「ヤツハシは?」

「え? ――あ」

 どうにか体を起こし、辺りを見回す。まず通路全体の照明が復活していつも通りの明るさに戻っているのに気づく。ヤツハシはと見れば――。

「……これ?」

 床に乾燥した水垢のようなものが点々と落ちていた。天井と壁にも少し残っているのが黴のようだ。水分が抜けて搾り滓になったらしい。

「これなら掃除しやすいかも。重さがないから」

 床に胡座をかいたまま早速ハンディクリーナーを使う。

 雪柳は尻を撫でながら立ち上がると「みんなの様子を見てきます」と慌ただしく駆け出した。

 一方でたま子は仰向けに落ちた際に一声呻いたきり、天井を見て寝ている。恐る恐る声をかける。

「……大丈夫? たまちゃん」

「ああ」

「……頭打った?」

「案ずるな」

 そう言うわりに起きようとしない。態度には出さないがどこか痛いに違いない。

 素直に痛がってくれればまだ可愛げもあるものを、ともどかしく思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る