浸水
第79話
少しして気を取り直し、とりあえず図書室に行かねばと玄関に向かった。ここがどこであれ、自分が誰であれ、たま子が何者であれ、今できるのはそれしかない。
玄関のドアは内側にはなぜかドアノブがついている。それを摑んで押したところで、開かないことに気がついた。
「あれ、開かない……」
独り言を聞きつけたオイコノモスが反応した。
「現在、廊下は浸水中です。内側に開いてください」
「しんすい?」
どういう意味だろう。とりあえずドアを引く。簡単に開いた。
「…………ん?」
ドアの外はおかしな景色だった。しかし何がどうおかしいのか気づくまでに多少の時間がかかった。
何となく歪んで見える。透明な膜でも張ってあるかのように。
触ってわかった。水だ。通路いっぱいに水が張られている。不思議なことにドアを開けてもそれは流れ込んでこない。水の壁になっている。
「うわー、これじゃ出らんないなあ」
ぼやきつつ手の平で表面を軽く叩く。飛沫が跳ねた。普通の水のようだが、普通の水なら支えなしに直立はしないだろう。中に入れるのだろうか。入れたところで、エレベーターまで息が続くとは思えない。
どうしようかと思っていると端末が鳴った。画面を見る。たま子からの着信だ。
「あ、はいはい」
これ幸いと応じる耳に、興奮気味のたま子の声が届いた。
「おい、今そっち浸水中だろ」
「ああ、うん。なんか通路が……」
「いいなあ。それにぶつかるなんて滅多にないぞ。ラッキーだな」
「ラッキーなのこれ? 部屋から出らんないよね」
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