1-ⅩⅩⅨ ~裏サイト管理人の正体は……~
体調を崩して、学校を休んだのは、これで2度目になる。もっとも、1度目はもう随分と前だし、立場も違うけれど。
理事長は、私の心を案じて、「大事を取ってもう2、3日は休め」と言っていたが、そうもいかない。私には私の仕事がある。
でも、急に体調を崩したのは、やはり「彼」のせいだろう。出禁にしたとは言われていたが、それでも急に来られたことで、何かしら影響があったのだ。遅れに遅れて、今になって吐き気がするほどに。
ふと、部屋を見る。私以外誰もいない部屋。食器類は洗っておらずそのままだ。あとで、洗わなくては。
すっかり、夕方になってしまった。昼までとっぷりと眠って、それで……。何をしていたのか、自分でも思い出せなかった。自分の無趣味さに失笑する。
寝汗が気持ち悪い。シャワーを浴びて、夕食をどうするか考えて、それから――――。
不意に、インターホンが鳴った。覗き込むと、見知った顔がある。
『あの、妻咲先生。大丈夫ですか? お見舞いに来たんですけど』
私の可愛い生徒、立花愛さんだ。
「ありがとう、大丈夫よ」
『よかったら、ご飯作ります。食材、買ってきたので』
そのまま帰ってくれればいいのに、食材まであるなら「帰れ」とは言いづらいじゃないか。
「……そう。ありがとう」
私は、入口の開錠ボタンを押した。
********
「立花さんは、お弁当屋さんの娘だったわね」
慣れた手つきで食材を捌く愛の背中を見ながら、妻咲はぽつりと言う。
「はい。それで料理も教えてもらったりしてて。結構美味しいって評判なんですよ」
「……確か、おうちとご家族は」
「大丈夫です。両親ももうすぐ退院ですし。それに、私もアルバイトしているんですよ」
「へえ、そうなの。どんなところ?」
「探偵事務所なんですけど、正直変な人たちばっかりで。得体のしれない人たちばっかりなんです。……でも、嫌いじゃないんですよ、そこで働くの」
「そう。良かったわね」
包丁の音が心地よく響く部屋で、互いに閉口した。
「先生。その……聞きました。10年前の事」
包丁の音が、止まる。
「……誰から?」
「理事長からです。先生だったんですよね、事件の被害者って」
「……染井先生は、当時の私の担任でね。気にかけてくれた。就職先に男性がいて怯えていた私に、桜花院の教師を薦めてくれたのも、あの人」
「そうなんですね。……それと」
「それと?」
「裏サイトって、ご存じですか?」
愛から、妻咲の顔色は分からない。
だが、明らかに雰囲気が変わった。
「……知らないわ」
「そういうのがあるんです。それで、できたのは10年くらい前らしいんですよ」
「……そうなの」
「そういうのに詳しい人が教えてくれたんです。それで、私への悪口も書かれていたみたいで」
「ひどいものね」
「そうなんです。でも、一番ひどいのは、そのサイトに悪口を言われた人が、本当に襲われてしまう事なんです」
愛は、振り返った。
いつもの穏やかな表情の担任の先生は、氷のような無表情だった。
「……先生なんですよね? 裏サイトを作ったのは」
1LDKの部屋に、沈黙が流れる。愛の手は、わずかに震えていた。
「……どうして、そう思ったのかしら?」
「私の知り合いは、すごくPCに強くて。それで、サイトからいつ作られたとか、どうやって管理者がアクセスしているか、とか。そういうのわかるみたいなんです。調べてもらったら、管理者のアクセスがあるのが、ここのPCだったんです」
愛は、じっと妻咲を見る。その表情は依然不明瞭だ。
だが、不意に妻咲の口角が緩んだ。
「……とんでもない知り合いがいたものね。悪ふざけで作ったものなのに、特定されちゃうんだもの。ネットって怖いわ」
「……なんでですか? 先生」
「理由なんてなかったわ。本当に、ただの憂さ晴らしのつもりだったのよ」
そう言って、妻咲は電子タバコを吸いだした。学校の中では、見たことのない姿だ。
「あの頃はただただ、どうしようもなくて……何かしていないと、どうにかなりそうだった。本当にいろんなことをやったのよ。窓ガラスを割ったり、万引きしたり。かと思えば、休日部屋にこもって一歩も出なかったり……。ただ、学校にだけは行っていたけどね」
まじめな自分と、壊れた自分の二人が、妻咲の中にいた。それは水と油のように、混ざり合えない。それが彼女を苦しめていた。
「裏サイトを作ったのも、本当になんとなくなのよ。その内誰も見向きもしなくなる、なんて思っていたら、あっという間に会員が増えちゃって。おかげで、管理するのが大変」
煙草の煙を吐く。その姿は、哀愁があり、どこか色気もある。
「……裏サイトを、閉鎖してもらえませんか?」
「……ええ、構わないわよ。所詮、道楽で作ったものだしね」
妻咲の答えは、とてもあっけないものだった。自分のノートパソコンを持ってくると、淡々と立ち上げ、操作する。
「……なんだか、先生のイメージが変わりそうです」
「そうね。私も、あなたがこんなにぐいぐい来る子だとは思ってなかったわ」
そして、妻咲が裏サイトを削除しようとしたときだ。
マウスが動かなくなった。レンタルサーバにあるファイルを削除しようとしたところで、動きが止まったのだ。
「……フリーズかしら」
ノートパソコン本体から、カーソルを操作しようとしても、全く動かない。
パソコンから、耳がつんざけそうな、奇怪な音がした。
それは、音というよりも、声と言った方がいいだろうか。
愛の身体から、体温が消え失せる。
その気配は、今まで感じた呪いよりも、はるかに濃厚で、そして禍々しいものだった。
「……か……よ」
パソコンの画面が黒く切り替わる。だが、それはブラックアウトしたわけではない。
画面に映る何か、その色が黒なのだ。
黒い何かは、目を見開いた。血走り、充血しきった眼窩。そこに、2つの目玉が付いている。
「な、何、これ……? まさか、ウイルス!?」
妻咲は慌ててパソコンの主電源を切る。だが、画面は微動だにしない。たまらずコードを抜くも、結局は変わらなかった。
「……させるかよ、こんな面白いものを消させるなんてよぉ!」
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