14EX-Ⅶ ~漏れる涙と入るスイッチ~

「蓮さんっ!」


 愛は布団を剥ぎ、蓮の手を引っ張り出して、握る。ひどい手汗だ。それに、とっても熱い。熱など測るまでもない。高熱と節々の痛みに、蓮はひどくうなされている。


「ワンッ!」


 すかさずジョンがベッドに跳ぶと、そのまま蓮の顔面に飛び込む。彼ののしかかりは、「最強」である蓮を起こす、唯一のキーとなる行動だ。

 しばらくジョンのおなかに顔面を押し付けられると、愛が握る蓮の手が、ピクリと動きだす。それを察知してか、ジョンも蓮の顔からどいた。

 うつろながらに開いた目の視線が、愛と合う。


「……あ、い?」

「蓮さん。大丈夫? お見舞いに来たよ?」

「……愛!? うえっ! げほっ! ごほっ!」


 ようやくはっきりと彼女の来訪を認識したのか、蓮はひどく動揺し、せき込んだ。愛は慌てて、蓮の背中をさする。


「だ、大丈夫!? すごい熱だって聞いたけど!」

「何で、お前が……! 誰が……ごほっ!」


 しばらく背中をさすられて、ようやく蓮は落ちついたらしい。咳き込んでいたのも、すぐに治まった。


「……ふぅ……」


 枕元にあった水を飲み干して、蓮は愛をちらりと見る。そして、すぐに下――――――1階に、視線を移した。


「……親父たちは?」

「お父さんの実家に行くって。私たちはお留守番」

「……ちっ、俺はともかく、お前まで巻き込みやがって……!」

「わ、私は別に大丈夫だよ……?」


 愛はそういいながら、持ってきたカバンを漁り始める。中から出てきたのは、タッパー。中には、白い液体と固体の中間のようなものが入っている。


「冷製ポタージュ作ってきたんだ。これなら飲めるかと思って」

「……おう」

「美味しい?」

「……おう」

「…………」


 黙々とポタージュを啜る蓮を、愛はじっと見やる。


「……ねえ、蓮さん?」

「何だ?」

「……何でさっきから、こっち見ないの?」


 この部屋に来てから、ずっと気になっていた。蓮は、さっきからずっと、愛の方を見ようとしない。さっき一瞬だけ視線を合わせてから、ずっと目をそらしたままだ。


「……それは、その……」

「……ジョン、お願いできる?」

「ワン!」

「あん? ……うわっ!?」


 愛の合図に合わせて、ジョンが蓮の肩の上に乗り、枕に頭を押し付ける。起き上がろうとした蓮の首が動かないようにジョンがのしかかると、愛は蓮の側頭部をがしっと掴んだ。


「蓮さん、こっち見て?」

「……っ!」

「ねえ、こっち見てよぉ!」


 じーーーーーーっと蓮の顔を見つめ、その距離はどんどん近くなる。だが、蓮は口を固く結んで、必死に視線をそらしていた。

 むう、と愛は頬を膨らませると、ぱっと手を放す。顔も離れると、ジョンに合図をした。ジョンはすっとベッドから降りて、とてとてと部屋を出て行ってしまう。


「……何でお前ら、そんな意思疎通できるんだよ……」

「さあ? 思うところは一緒だからじゃないかな?」


 その言葉に、蓮はどうやら観念したらしい。くるりと愛の反対方向を向くと、ベッドに寝たまま、深く息を吐いた。


「……夢を、見たんだよ」

「夢?」

「自分でもキモいくらい、はっきり覚えてる。……だから、お前と顔、合わせづらいんだ」

「……私がらみの夢だったの? どんな夢?」

「……お前を……その……」


 言いよどむ蓮に、愛の中で、ある思いがふつふつと沸き上がる。


(……もしかして、エッチな夢……? 私で?)


 だとしたら結構、とんでもないことを聞こうとしているのでは? とも思うが、こうもぐいぐいと聞き出そうとしている以上、「やっぱりいいよ!」とは言いづらい。

 ごくりと息をのんで、愛は覚悟を決めた。なんだか直接口に出されると思うと、とんでもなく緊張する。


 そして愛が覚悟を決めた3秒後。蓮が、とうとう答えた。


「――――――お前を、夢……」

「……へっ?」


 思っていたのとは、180度違う答えに、愛は変な声が出た。


「何それ、どーいうこと!?」

「……だから言いたくなかったんだよ!」

「逆に気になるんだけど!? 私何かした!?」

「……なんもしてねえよ、お前は何も……悪いのは、全部俺だ……」


 そういう蓮の声は、どんどんとか細くなっていく。愛は蓮の顔を見ようとするが、とうとうベッドに顔を突っ込んで見えなくなってしまった。


「……教えてほしいな。どんな夢だったの?」

「……」

「お願い。怒ったりしないから。……ね?」


 布団の上から蓮の身体をさすることで、蓮の警戒を解く。少し警戒が緩んだのか、蓮はぽつぽつと話し始めた。


「……お前が、他の男と一緒にいて……「初詣をすっぽかすような人は嫌だ」って」

「すっぽかす、って……」


 そんなの、しょうがないじゃない。風邪ひいちゃったんだから。

 私は気にしない、と愛は言いかけたが、そこで気づく。違う、逆だ。私が気にしているんじゃない。

蓮さん自身が、一番、初詣に行けなかったことを気にしているんだ。それが愛という形で、直接彼の心を抉っているのだろう。


(そんなに気にしなくてもいいのに……デートなんて、いつでも行けるんだから……)

(誘い方に窮していたくせに、何を言っとるんだ)


 愛の心の声に背中の夜道が突っ込みを入れる中、蓮の独白は続く。


「ほかの男と目の前でいちゃつきだして……それで頭がカッとなって……気づいたら、男はばらばらに……で、怯えるお前に、俺は――――――ごほっ! ごほっ!」


 そこまで言って、蓮は言葉を止め、せき込んでしまった。その間も、蓮は決して、ベッドのシーツから顔を剥がそうとはしない。苦しいはずなのに。


「――――――情けねえ。ほんとに、情けねえよ、俺。せっかくお前が彼女になってくれたのに、初デートにも行けねえで……。挙句の果てに、こんな夢まで見てよう……」


 人間風邪をひくと、肉体的だけでなく、精神的にも弱ってしまうもの。それは蓮も例外ではない。特に蓮は最近精神と身体のバランスを大きく崩していたこともあり、普段の様子とは考えられないほどの弱弱しさだった。


「バカだし、不良だし、乱暴だしで、いいトコねえ。顔だって……そんなにかっこよくねえ。強かろうが何だろうが、もっといい男がいっぱいいるしよ……。そんな奴らと比べたら、俺なんか……俺なんか……」


 完全にいじけてしまっている蓮の声には、とうとう嗚咽が混ざり始めた。


「……こんなこと考えて、お前には悪いと思ってるけど、どうしても考えちまうんだ。それで、そうなったらって考えたら……俺は……俺は……! ほんとに、最低だ……!」


 言いながら、ふるふると身体を震わせ、シーツの濡れがどんどんと広がる。もう間違いなく、ごまかしようもなく、蓮は泣いていた。


「……蓮さん……」

「相当に重症だな。なまじ強い分、強さで繋ぎとめられるもんでもないってことが、わかってしまってるんだろ」


 布団にくるまって泣き始めた蓮に対し、夜道は冷静に分析を始める。まあ正直、気持ちはわからなくもない。夜道自身も生前、妻との向き合い方に苦心したこともある。


「愛、ここはいったん、出直して英気を養ってから――――――」


 そう言いかけて愛を見やった夜道は、ぎょっとした。


 今までにない、愛の表情。何か、とんでもない感情が、彼女の中で渦巻いている。

 その証拠に、愛は蓮をじっと見て、よだれを垂らしていた。


「――――――かわ、いい……」

「は?」

「身も心も、弱ってる……こんな蓮さん、見たことない……!」

「いや、そりゃそうかもしれんが……」


「……蓮さん……、可愛い……♡!」


 愛の目には、不気味にハートが浮かび上がっていた。

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