14EX-Ⅷ ~浮かび上がるもの~

「あ、愛……?」


 夜道はひどく動揺した。まさかこの娘が、この状況でこんな感想を言い出すとは思わなかったのだ。

そして、愛はすぐさま行動に移ってしまった。


「……ねえ、蓮さん……」

「な、何だよ。だから、俺はもう……」

「顔、見せて?」

「え? ……あうっ!?」


 動揺する蓮の弱点である耳を、愛は何のためらいもなくんだ。力が抜けた蓮は、逆にもの凄い力で仰向けにひっくり返される。


「……愛……? な、何すんだ……」


 目じりに涙を浮かべる蓮の眼前には、彼の両腕をがっちり押さえる愛の姿があった。息を荒げ、目は据わり、口から垂れる唾液が、蓮の頬に落ちる。


「……泣いてる蓮さんも、可愛い……♡」

「あ、愛……? 何言って――――――」


 蓮が言い切る前に、愛は蓮の顔に口付けた。


「――――――っ!?」


 ただ唇が触れただけではない。触れた唇の中から、ぬるりと舌がまろび出る。蓮の目じりに伝う涙を、逃さないように丹念になめとる感触に、蓮の全身はぞわぞわと粟立って行った。


「え、え、え、何して……!」

「ふぅ……ふふっ♡」


 愛は不敵に笑うと、今度は蓮の首の横に顔をうずめる。


「いっ!?」


 こわばって固まる蓮をよそに、愛は――――――蓮の、首筋の匂いを嗅いだ。


 蓮の汗の匂い。布団に使われている柔軟剤の香り。いろんな匂いが混ざっているが、嫌いな匂いではない――――――むしろ、好きな部類。


 一心不乱に匂いを嗅ぐ愛に、蓮は完全に動けずにいた。風邪をひいて動くのが辛いのもそうだが、女の子に匂いを嗅がれるなんてこと自体が初めての経験である。


「う……う……!」


 蓮自身もほのかに愛の髪の香りを鼻腔に感じながら、じっと身動きせずにいる。香りもそうだが、もぞもぞと愛が動く感触もまた、くすぐったくて仕方ない。


 そしてそんな蓮のことなどお構いなしに、愛は蓮の匂いを堪能していた。


 が――――――。


(……あれ……)


 愛の鼻に、予想だにしない匂いが混じる。それは、明らかに蓮の汗の匂いではない。ましてや、布団の柔軟剤でもない。


 何より、その匂いは、不快で、焦げ臭かった。


(……何、この不快な匂い……?)

「あ、あ、い……! やめ、ろ……!」


 執拗に匂いを嗅がれ、悶える蓮をよそに、愛はふんふんと匂いを探り始める。


(……誰……?)


 匂いを嗅ぐうちに、愛の中で、ふつふつと怒りがこみ上げ始めてきた。彼女の怒気は霊力のオーラとなって、自然と体から溢れ始める。


「……なっ!?」


 それは、夜道が寒気を覚えるほどに、おぞましいオーラだった。到底普通の女子高生が出せるはずのないであろう、禍々しい霊気である。


「おい、愛!? どうした!?」


 夜道の声も聞こえていないようで、愛はどんどんとオーラを強めていく。

 そしてそのまま、愛はぐんぐんと匂いを嗅ぎ続ける。


(……にいるの……? 蓮さんの、中に……?)


 さっきまでの妖艶な気配とは全く違う、どす黒い感情のままに、愛は霊力を嗅覚に集中させていく。


(――――――、蓮さんの、中に……!?)


 霊力によって研ぎ澄まされた愛の鼻は、普通の人間では感じ取ることができないものすら嗅ぎ取ることができる。


 いや、むしろ、狙ったものを匂いごと引きずりだすことすら可能であった。


 くん、と愛が匂いを嗅ぐと同時、蓮の身体から、何かが浮かび上がる。


「……なんだ、これは……!」


 夜道が驚くと同時、ベッドの近くにいたジョンが「ウウウウウウウウ……! ワンッ! ワンッ!」と、激しく吠えだした。


 蓮の身体から浮き出たもの――――――それは、夜道すら気づくことができなかった、異形の赤黒いオーラ。そんなものが、どういうわけか蓮の身体から浮かび上がってきたのである。

 しかし、浮かび上がっただけ。オーラは蓮の身体から離れることはなく、苦悶の顔を浮かべる蓮の身体にまとわりついていた。そこまで、蓮から離れたくないというのか。


「……うう、ううあああああああ……!」


 蓮の顔の苦しみはさらにひどくなった。おそらくは不調の原因が表層に現れたことで、精神的な影響がより強く出ているのだろう。


「……嫌だ……! 嫌だ……!」


 蓮はとうとう、うわ言まで口に出し始める。「何か」が表層に現れたことで、彼の意識は朦朧としているらしい。


「お前に嫌われるのは、嫌だ……!」

「……! 蓮さん……」


 うなされながら、蓮の目からは、涙が溢れ出る。 

 その蓮の表情に、愛はゆらりと微笑んだ。うめき声をあげる蓮の頬に、そっと手を添える。


「……蓮さん、苦しいのは、これのせいなんだね?」


 まるで安心させるように――――――というか、愛でるように。蓮の頬から、頭を撫で始めた。


「大丈夫よ。……今、楽に、してあげるね?」


 そして。


 愛は蓮の額に自分の額をくっつける。まるで、眠るのをぐずる赤子に、母親が額を当てるように。


 そのまま愛の意識は、蓮の中へと埋没していった――――――。

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