11-ⅩⅩⅩⅤ ~怪物は愛に咆える~
「葬儀から帰ってきた主人は、顔色が真っ青で――――――」
「……それが、あの時期か」
これは、蓮たちが幼稚園にいたころの話。静歌のチャリティライブで、香苗がアイドルに憧れを持っていたころの話。
「……たぶん、必死に抑えこんでいたんだと思うわ」
「そんな時に、アレか」
蓮がちらりと見やったのは、テープで繋ぎとめられた、香苗の「将来の夢」の絵である。自室に飾っているのは、いささか驚いた。見たくもないだろうに。
「一気に、静歌ちゃんとの思い出が噴き出しちゃったのね。あの時だけは、どうしても、優しくできなかった。……その時の後悔を忘れないために、あの絵、飾ってるのよ」
「まー、これっばっかりはな」
誰が悪いわけでもない。本当に、タイミングが悪かった。大体事情も知らない5歳児に、そんなもん察しろと言う方が無理がある。
「……香苗ちゃん、とことんタイミングが悪いのよね」
「ホントにな。こうやって聞いたてら、わざとやってんじゃねえかって思うわ」
「それがわざとじゃないんだから、不思議よねえ」
*******
静歌の死から、12年が経ったある日。犬飼の心の傷も、大分癒えてきたころだった。本当に、彼女はあらゆる意味でタイミングが悪い。
いぬかい幼稚園の前に、見覚えのある女の子が立っていた。
犬飼園長は、彼女のことが、すぐにわかった。
「……香苗ちゃん?」
「あ、園長先生! 久しぶり!」
背は伸び、大人びたものの、まぎれもなく、かつてこの幼稚園に通っていた、夢咲香苗であった。
「お父さんの仕事の都合で、こっちに戻って来たんです」
「大変だね、サラリーマンというのは」
犬飼は喜んで、香苗を家に上げた。久々の教え子との再会。教育者の一人として、嬉しくないわけがなかった。
香苗はお茶を飲みながら、あるものに気付く。現在の蓮と同じく、テープで直された絵に。
「あ、これ、私の!?」
「ああ。あの時は……ひどい事をしちゃったからね、もうしないって、誓うために飾ってるんだ」
「そんなぁ。私は、あの時のことがあったから、むしろ頑張れてるくらいなんですよ?」
笑顔で言う香苗の言葉に、お茶菓子をつまむ犬飼の手が、はたと止まった。
「……むしろ?」
「実は私……もうちょっとで、夢、叶いそうなんだ!」
満面の笑みの香苗の言葉に、犬飼は胸が締め付けられる気分の悪さを感じた。手の平に、じっとりと汗が出始める。
「……香苗ちゃんの夢って……」
「もちろん、アイドル!」
香苗は本当に楽しそうに、自分の夢の事を話し始めた。養成所でのこと、ニューヒロイン・プロジェクトの事、DCSのこと、ASHという大きな壁の事……。
「いつか、私がアイドルを目指したあの人にも、見てもらって……ゆくゆくは、一緒にライブとかできたらいいなって思ってるの!」
この一言が、犬飼の心を殺す最後の一撃となったことを、彼女はついぞ知ることはなかった。思う存分話ができて満足したのか、香苗は笑顔で幼稚園から去っていく。
「……あなた……」
その背中を見送った副園長は、犬飼の顔を見やった。
修羅となりかけている夫の顔が、そこにはあった。
*******
「犬飼さんとは、あの時以来連絡がありませんでした。それが、ある時、急に呼び出されて……」
取り調べを受けていた高島は、ぽつりぽつりと口にする。
「問い詰められました。IBITSに、夢咲香苗という女の子がいるのか、と……。正直に答えたら、彼は頭を抱えていました」
喫茶店で、犬飼の、水のグラスを持つ手が震えていた。やがて、グラスが犬飼の握力に耐え切れずに割れた時、高島は目を見開いた。
「……高島さん、12年です。12年たって、ようやく落ち着いてきたんですよ。私は」
「……知っています」
「……あの子は……大金田たちに、狙われるでしょうか」
「わかりません。彼女以外にも、アイドルはいます。……ですが、彼らの目に留まる範囲に、まぎれもなく香苗ちゃんがいるのは事実です」
「そうですか……では、仕方ありませんな」
香苗の所属事務所と、日野静歌の因縁。澱んだ縁が、犬飼の中で結びつく。
「――――――
この時、犬飼征史郎は、己が異形の力を振るうことを決めたのだ。戦後、一度も使うことのなかった、「ティンダトロス」としての異形の力。怪人の祖の直系であり、歴史すら塗り替えていたかもしれないほどの、強大な怪人としての力を。
たった2人の、愛娘のために。
*******
「……だから、本当に驚きました」
犬飼は自身の犯行を水原に吐露しながら、うつむく。
「せっかく、大金田と軽井沢を排除したのに。今度は帯刀という男が出てくるのですから。高島さんが教えてくれなかったら、手遅れになるところだった」
あの時、香苗の姿を見てしまったのは、失策だった。涙をこらえて腰を落とそうとする、裸同然の彼女を見て、頭に血が昇ってしまった。
(――――――なんて、馬鹿なことをしているんだ!)
結果、咄嗟に力を押さえ込んだものの、彼女を叩いてしまった。ベッドから倒れこむ彼女に、一瞬我を失う。
だが、さらに驚いたのは、その直後だった。予想だにしない人物が飛び込んできたのだから。
「――――――香苗!」
赤い髪の、とげとげした頭の少年。目つきはだいぶ悪くなっていたが、間違いない。
「……まさか、蓮くんがやってくるとは、本当に思いませんでした」
犬飼はひどく動揺した。何せ、彼もまぎれもなく、自分の教え子の一人なのだから。
高島から、香苗に護衛が付いた、という話は聞いていた。なんだったら、「幼馴染である」らしい、とも。
しかし、あのラブホテル襲撃の時は護衛の依頼もほぼ自動的に取り下げられており、高島が連れてくる際に追って来る者もいないと言っていた。万が一にも、来ることなどできないはずだった。どう突き止めたかすら、わからない。
まさかIBITSの事務所から走ってきたなど、想像だにしていなかったのだ。
ひどく動揺した犬飼は、咄嗟に帯刀の首を投げつけた。蓮はその頭を砕く。肉片と脳漿が目くらましとなる間に、犬飼はティッシュの箱につけられた三角形の傷に逃げ込んだ。
移動先の車の中で、犬飼は息を荒げずにはいられなかった。
「……な、なんで、蓮くんが、ここに……!」
車はラブホテルから少し離れた、コインパーキングに停めてあった。呼吸を整えた犬飼は、急いで自宅へと戻る。
(……とにもかくにも……香苗ちゃんが無事でよかった)
そんな一握りの善行に縋りながら、彼は自宅の布団で眠りについたのだ。
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