11-ⅩⅩⅩⅣ ~失われたものは帰らない~
日野静歌の葬儀に訪れた犬飼征史郎の目に飛び込んできたのは、雨の降る中、傘も差さず、頭を地にこすりつけている男の姿だった。
「申し訳ありません! 申し訳ありません!」
「……お引き取りください」
頭を下げられている方は、犬飼も顔見知りである。亡くなった日野静歌の、母親であった。彼女は頭を下げている男の姿に、口を一文字に紡いでいた。
「……貴方を見ていると、娘がどんどんやつれていった時のことが思い出されるんです。香典も結構ですので」
「ですが……!」
「失礼いたします。ほかの方の対応がありますので」
そう言い、静歌の母は男の前から去って行ってしまった。そして、犬飼の姿を見ると、こちらへ駆けてくる。
「……園長先生……」
「この度は、ご愁傷様です。……驚きました、まさか、静歌ちゃんが……」
「……親として、自分の至らなさに怒りすら覚えますわ」
肩を震わせて、静歌の母は泣いている。斎場に赴くと、静歌の遺影が飾られていた。学生時代のものだ。
「大人になってからは、あまりいい写真がなくて。……中学生くらいの時が、一番いい笑顔でした」
まだ、アイドルというものに染まっていない頃の、輝いていた静歌の写真。くったくのない笑顔を見ると、胸の奥が締め付けられるものがあった。
「……先ほどの方は?」
「あの子が所属していた芸能事務所の方です。香典をお持ちになったとのことですが……お断りしました」
彼女の自殺の原因は、間違いなく、彼女の所属していたⅠBⅠTSプロにある。事務所は明言していないが、状況的に明らかだ。
「……アイドルなんて、させなければ良かった……!」
静歌の母は、再び泣き出してしまう。犬飼は、彼女の背中を優しく撫でることしかできなかった。
斎場を出ると、まだ高島は座り伏していた。
「……お風邪を召してしまいますよ、こんな雨の中では」
「え」
犬飼は、彼に傘を差した。濡れねずみになっている彼を不憫に思った――――――からではない。
「静歌ちゃんの、プロデューサーだった方ですね」
「あなたは……」
「あの子の、幼稚園の園長です」
その言葉に、高島も犬飼の姿を思い出したらしい。「あ、先日はどうも……」と、力なく頭を下げた。
「ずっとここにいるわけにもいかないでしょう。……近くの喫茶店で、少し休まれるといい」
「え、ですが……」
「私が奢りますよ。……色々、お話も聞きたいですから」
雨の中、高島を半ば強引に立たせると、犬飼は彼を連れて斎場を出た。
どうしても、彼の口から、アイドルとしての静歌の話が聞きたかったのだ。
犬飼行きつけの喫茶店に行き、アメリカン・コーヒーを一杯。冷えた体に、ブラックの苦い香りと温度が、じわりと染み渡っていく。雨で冷えた体には、たまらない。
「しずか……ちゃんは、とても、明るい子でした。間違いなく、トップアイドルになれる資質があったと、私は今でも思っています」
「でも、ダメだったんですか」
「売れるには素質だけではどうにも。運だったり、事務所との折り合いだったり、色々なものが絡んでくる。そして、そのチャンスをつかめるのは、ほんの一握りしかいない」
テレビに出たり、メディアで活躍している数百人のアイドルの裏で、何万人のアイドル候補や売れないアイドルが、涙を呑んでいるのか。一部を知っているだけでも、高島の言葉は重い。
「自殺するというのは、よくあることなんですか」
「いえ、そこまではさすがに……ですが、精神的に追い詰められてしまう子がいることは、間違いありません。この世界は、心が強くないと、やっていけない」
「静歌ちゃんは……心が弱かったと?」
次第に、犬飼は苛立ちを隠せなかった。まるで、死ぬ原因が静歌にある、と言わんような言い方だからだ。
「――――――そこまで彼女を追い詰めたのは、貴方たちでしょう?」
犬飼の問いかけに、高島は答えない。彼自身、わなわなとこぶしを震わせている。やがて、絞り出すように、彼は答えた。
「……今私が言ったことは、サラリーマンとしての意見です。個人としては――――――事務所に責任があると、そう考えています」
高島自身、限界だった。担当アイドルが死に、彼が葬儀に出向くことは、百歩譲っていい。だが、上層部の香典まで、持って行かされたことに、彼はひどく腹を立てていた。
「我々、忙しいから。これ、ついでに持って行ってくれ」
涼しい顔で香典を渡してきた取締役の顔を、すんでで殴るところだった。
そもそも、彼女が死んだのは、お前らがあの子を見捨てたからだ。大金田なんかとつるんでいるからだ。
自分が頭を下げて詫びるのは、致し方ない。でも、おまえらだって、そうして然るべきだろう!
憤懣やるかたない気持ちが、犬飼との対話で爆発した。喫茶店が、個人経営でよかった。ほかの客もおらず、マスターが犬飼の口利きで、一時閉店状態にしてくれた。
荒れ狂うような怒りを、高島は犬飼へと伝えた。静歌の死、追い詰められていく彼女、何もしてやれない自分――――――。
すべてを吐き出し終えた高島は、燃え尽きたかのようだった。暖かい室内にいるはずなのに、血色が雨の中にいた時よりも白くなっていた。
犬飼はその話を、閉目して聞いていた。
「――――――お話は、わかりました」
「……すみません、こんな、ひどい話を……」
「いえ。聞けて、良かった」
この時、高島は知る由もなかったが。
犬飼征史郎の心中は、とてもじゃないが穏やかではなかった。
強い衝動があった。かつて感じたことのないほどの、おぞましい衝動が。
(――――――殺シテシマエ! ミンナ、殺シテシマエ!)
獣臭く、不快な吐息を伴った声が、犬飼の耳元でずっとささやき続けている。閉目すれば、その正体はおのずと分かった。怪人である、自分自身の声だ。
(オ前ノ大切ナモノ踏ミニジッタ奴ラ、全部! 殺シテシマエ!)
「……怒りに身を任せても、静歌ちゃんが帰ってくるわけじゃない」
高島に言った言葉ではなかった。この時犬飼の発した言葉は、すべて、自分に対する言葉である。
「復讐など、無意味だ。成し遂げたところで、何も残らない。むしろ、新たな哀しみしか生みませんよ」
「犬飼さん……」
「今回の件は、悲しい事件でした。今後、このようなことが起こらないように、お願いします。……ほかの子供たちが、苦しんだり傷つかないようにしてあげてください」
犬飼はそう言い、笑顔を見せた。精いっぱいの、引きつった笑顔だった。高島は、目に涙を潤ませながら、頭を下げた。犬飼は彼の分のコーヒー代を置き、喫茶店を去る。
これ以上彼を見ていたら、彼を噛み殺してしまいそうだったからだ。
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