11-ⅩⅩⅩⅢ ~かなわじの夢~

 日野静歌。芸名、金輪寺かなわじしずか。「西遊記」が子供のころに好きだといった彼女と、一緒に考えた芸名だ。言うまでもなく、孫悟空が頭に着けていた輪っか、緊箍児きんこじがモデルである。


「……あの脅迫状を書いたのは、私です。事務所の上層部に、しずかちゃんの事を思い出させようとして、最後に、『かなわじ』を入れました」


 そう自供する高島の目論見は、結局失敗に終わった。


 祈りは届かず、かなわじ。これは、「叶わじ」と「金輪寺」をかけていた。少々回りくどかったと言われればそうかもしれないが、それにしても、自分の事務所に所属していたアイドルの名前すら、上層部は忘れていた。


「――――――もう、何もかもめちゃくちゃにしてやろうと思っていたのかもしれません。大金田を殺したことで、タガが外れていたのかもしれない」


 そして、彼は告白した。


「『アイド☆ルーキーフェス』の裏事情をリークしたのも、私です」


 正確に言えば、彼が中小事務所のアイドルに聞こえるように、敢えてそう話したのを聞かせた、というのが正しい。


「……復讐、だったのかもしれない。彼女を死に追いやったのは……私たち、大人だった」


 今から15年前、高島が金輪寺しずかの担当プロデューサーとなった時のことは、鮮明に思い出せる。


「よろしくお願いします、プロデューサーさん!」

「ああ、よろしく」


 当時彼女は17歳。まだまだ幼さすら感じるほどで、その純粋さできらきらと輝いていた。ほかのアイドル候補生も輝いていたが、その中でも特に輝きを感じる。そんな印象だった。


「しずかは、どうしてアイドルになろうと思ったんだ?」

「やっぱりさ、みんなに希望を与えてあげたいと思って! お世話になった人たちにも、恩返ししたくってさ」

「お世話になった人……ご両親とか?」

「それもあるけど、やっぱり、幼稚園の園長かなあ」

「園長?」


 意外なしずかの答えに、当時の高島は首を傾げた。


「私の出身の幼稚園の園長夫婦、子供がいないんだ。だから、幼稚園で過ごした子供の事、凄い親身になって相談に乗ってくれるんだよ。私がアイドルになるって夢も、真っ先に応援してくれたの、園長だったし」

「そうか……いい人だったんだね」

「うん。だから、幼稚園で、恩返しライブやりたいんだよね!」


 はにかんだ笑顔に、高島は、胸の鼓動が高鳴った。


(この子は売れる。いや、売って見せる)


 胸に決意を秘め、彼女と共に様々な企画を立案しては、上層部へ提出する日々が続いた。

 だが、なかなかヒットにつながる妙案は浮かばない。


「大丈夫大丈夫、そう簡単に売れるとは思ってないって!」


 最初こそ、彼女は笑ってそう言った。

 その余裕も、延々と「ボツ」を食らうたびに、どんどんなくなっていく。


「……ちょっと、売り出し方を変えてみようか」


 色々なキャラ付け。本来の彼女の性格を押し殺したクールタイプ。甘えん坊タイプ。様々な位置づけを試し、ファンに定着するようなアイデアを、頭をひねって考えていた。


 だが、ダメだった。デビューをして1年が経ち、彼女の後輩たちが新しくアイドルとなった時、しずかのメンタルにひびが入り始めていた。

 この時の高島はほかのアイドルの担当もあり、静歌に割く時間が少なくなっていた。


 気にかけていないことなどない。むしろ心配で仕方なかった。


「ねえ、プロデューサーにとって、私ってお荷物?」


 いきなりそう言われ、耳を疑った。慌てて彼女の手を取り、さらに青ざめる。彼女は、自分の手首を切っていた。


「……なんて、バカなことを!」


 くっきりと、傷跡が残っている。もう、この傷は消えない。アイドル最大の武器である身体に、自分で傷を入れるとは何事だと、高島は彼女を𠮟りつけた。


「……だって、もう、私、誰にも見向きもされないって思ったら、悲しくて……」


 しずかの、少し浮き出た眼窩から、涙があふれ出る。高島は、彼女を抱きしめた。その骨ばった感触に、ぞっとする。

 初めに会った時から、彼女は10キロも瘦せていた。元々標準体型だった彼女からすれば、明らかに痩せすぎだ。詳しく問い詰めたら、摂食障害を起こしているらしかった。


「……もっと痩せて、綺麗になれば、みんな見てくれると思って……」

「もういい! お前はもう頑張らなくていいから! 俺が頑張って、仕事取ってくるから!」


 涙交じりに、高島は彼女を抱きしめ続けることしかできなかった。

 もう、彼女だけの問題ではない。事務所として、彼女を売らなければ、彼女に未来はない。高島は、上層部に頭を下げた。


「お願いします! しずかに、チャンスを与えてやってください!」


 必死に頭を床にこすりつける高島に対し、上層部の反応は渋かった。精神に異常をきたしかけ、手首まで切っているアイドルが、どう売れるというのか。そんな言葉が返ってきた。

 そこに、待ったをかけたのが、大金田有二という男である。


「まあまあ、こちらとしても若い芽が潰えてしまうのも忍びない。私がスポンサーの番組に出演するのを、考えてあげてもいいよ?」

「ほ、本当ですか!?」

「た だ し。……わかるよね? 高島くん」


 高島の顔から、血がさっと引いた。大金田の狙いは、しずかの身体だ。

 悩み悩んだ挙句、しずか本人に相談した。これがいけなかった。


「私、やります」

「……本当か!?」

「それで、ちょっとでも理想のアイドルに近づけるなら……!」


 精神的に追い詰められた彼女にこんな取引、「やる」と言うに決まっている。

 複雑な気持ちのまま、大金田の自宅に静歌を連れて行き、小一時間待った。ほんのちょっとの時間のはずなのに、随分長く感じたのを、今でも覚えている。

 何度も腕時計を確認しながら車で待っていると、静歌が戻ってきた。


「……どうだった?」


 高島の問いかけに、彼女は、何も答えなかった。

 結果として、大金田の番組に出演することはできたが、端役にすぎず。思うような結果は残せなかった。何より、その番組自体が低視聴率で、あっさりと打ち切り。飛躍のチャンスはなかった。


「すまなかったね。次の番組で、また頼むよ」


 大金田はしれっとそう言い、何かと理由を着けてしずかの出演を渋った。そうすれば、彼女が身体を許すことを知っていたからだ。これはしずかだけに限らず、売れずにがむしゃらに頑張るアイドルすべてに共通することだったが。

 何度もしずかは大金田の家に連れていかれ、やがてそれすらなくなった。彼女の、女性としての尊厳まで、大金田に踏みにじられたのだ。


 一方で、彼女は軽井沢俊寛の愛人契約にも手を出していた。愛人と言っても、ただ、アイドルとして売れたいだけ、お小遣いが欲しいだけのビジネスライクであったが。

 一度身体を許して抵抗がなくなったのか、軽井沢の誘いにも簡単に乗るようになった。


「……あんまり羽目を外すなよ。仕事に響くぞ?」

「何言ってんの? 仕事なんてないじゃん、どうせさぁ」


 私生活は荒れ、カバンの中には煙草が入り、たまに家に行けば酒の缶が溢れかえっている。軽井沢にもらったのか、公に出せないようなものまで置いてあった。

 まさか覚せい剤までやってないだろうな、と思うようになったのも、このころだ。

 しずかは躁鬱が激しくなり、わめき散らしてひっかいてきたと思えば、泣き出してふさぎ込んだりと、不安定になることが多くなった。


 アイドル金輪寺しずかとしての仕事など、もう一件もなかった。


 そして、彼女のプロデューサーとなって、3年たったある日。

 しずかは、別人のように、というか、出会った頃のように、突如戻った。変貌したと言ってもいい。


「……ねえ、どうしても取ってきてほしい仕事があるんだけど」

「……なんだ?」


 金輪寺しずかの、正真正銘、アイドルとしてのお仕事。それは、出身の幼稚園での、チャリティライブだった。

 その時の彼女は、本当に輝いていた。最初の、明るく、みんなを笑顔にするような。そんな、理想のアイドルそのものである。園児たちも、こぞって笑顔で、最高の盛り上がりを見せた。


「いやあ、大成功だったな」

「うん」


 ライブの帰り、しずかはにっこりと笑った。


「プロデューサー。私、今日、最高に楽しかったよ!」

「ああ」

「じゃあね!」


 手を振って、彼女は自宅の方向に消えていった。高島はそれを、見送った。見送ってしまった。彼女の、真意に気付きつつも、このまま見送るべきだと思ってしまった。

 それが、一生自分にまとわりつく鎖になることも、わかっていたのかもしれない。


 その後、高島が彼女と再会したのは、日野静歌の葬儀の時だ。


 彼女は、ビルから飛び降りて自殺した。遺体は、原型も残らなかったという。

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