11-ⅩⅩⅩⅡ ~壮絶すぎる過去~

「……そんな時期に会ってたのか、園長と副園長」

「ええ」


 紅羽蓮は出されたお茶を飲みながら、犬飼さゆりの話を聞いている。

 彼女は一度園長と共に出頭したものの、あくまで同行のみ。特に事件に絡んでいたわけでもなかったので、そのまま幼稚園に帰って来たのである。


「終戦の放送があった時は、みんな落ち込んでたらしいだけどね」

「ふーん……え、待って。?」

「私と、お母さんなのよ。その時、あの人と会ったのは」

「アンタ、の方かよ!?」

「当たり前でしょ、じゃなきゃ私、もっとおばあちゃんよ?」


 いやまあ、そりゃそうだけど。夫婦だし、年が近い方だと思うじゃないか。正直、園長夫妻の年齢なんて、気にしたこともなかったし。

 副園長の母は、婚約者が動員し、そのまま戦地で死んでしまったことを知り、悲嘆に暮れていた。夫が戦死したときにはすでに副園長を生んでおり、空襲などにも耐えて、必死に生きていた。飢えと悲しみでもうどうにもならず路地裏で赤ん坊ともども死にかけていた時、出会ったのが犬飼だったのだ。


「ええ……じゃあ、赤ん坊のころから知ってる女と結婚したのか、あのじーさん」


 ロリコンじゃん。脳裏に浮かんだその言葉を、副園長の表情を見やった蓮は、ぐっと飲み込んだ。たぶんそんな簡単な言葉で形容できるものではないのだろう。


「そうは言っても、籍は入れてなかったし……。事実婚なんだけどね」


 当時の日本は皆弱っていて、支え合っていかなければ生きていけなかった。犬飼園長と当時のさゆり副園長とその母も、一緒に暮らし始めた。

 幸い、犬飼は若い働き手で、仕事はいくらでもあった。あちこちの仕事を手伝い、食べ物などを分けてもらいながら、3人はある場所を目指していた。


「俺の故郷に行こう」


 行く当てもなかったさゆりの母は、彼に同行することにした。

 3人での旅は、楽しかった。当時車など買う金もなく、時には人の車に乗せてもらいながら、犬飼の故郷を目指した。


 そして、故郷にたどり着いたのは、終戦から実に3カ月が過ぎたころだ。


「……これは……」


 故郷の景色を見やった犬飼は、持っていたカバンを力なく手放してしまった。


 荒れ果てて、人の手が一切入らず、草木すら生えてきている建物。小さい村だったとはいえ、こうも人が一人もいなくなってしまうものなのか。


「ここが、犬飼さんの家なんですか?」

「ああ。ここに……母と、妹と、じいちゃんと、ばあちゃんが……」


 家の近くを人を探してさまよっていると、通りがかりの老夫婦と出会った。彼らは、犬飼の顔を見て、目を見開いた。


「……征史郎くん!?」

音成おとなりさん!? うちの家族を、知りませんか!?」

「なんで……? 君は、死んだはずじゃ?」

「死んだ……?」


 自分が? 死んだとされているのか? なぜ? 自分は戦死どころか、日本から出てすらいないというのに。

 ご近所の音成さんの話では、この村にも空襲があったらしい。辻堂さん含む村の衆は、避難をしたのだが……。


「私たちは、この家に残ります。……早く、あの世であの人たちに会いたい」


 ちょうど犬飼の死を知らされた家の人々は、空襲の最中に心中を図ったらしい。その中に、妹も混じって――――――。


「……そんな……!」


 みんな、俺を置いて行ってしまったのか。犬飼は、膝から崩れ落ちた。


その日の夜、犬飼は自宅だった場所で、一人腹を切った。


「……犬飼さんっ!」


 犬飼は副園長の母によって発見され、一命をとりとめた。


 いや、正確に言えば、腹を切ったくらいでは犬飼は死ぬことができなかった。怪人としての再生力が、切腹による損傷をたちまち治してしまったのである。

 死ぬこともできず、立ち直れなくなった犬飼を、支えていたのは副園長の母だった。3ヵ月という短い間だったが、失意の底にいた彼女を支えてくれたのは、まぎれもなく犬飼だったからだ。


「私たちが、あなたの家族になりますから。だから、生きてください」


*******


「……そういう経緯だと知ったのは、もう少し大きくなってからだったけどね」

「……園長……」


 蓮は、飲んでいた茶がすっかり不味くなってしまった。切腹なんて内容もそうだが、何よりも犬飼園長の壮絶すぎる過去に、気分が重くなってしまったのだ。


「……じゃあ、園長と副園長の母ちゃん、結婚したのか?」

「ううん」


 副園長は、笑って首を横に振った。


「あの人は、お母さんと男女の関係にはならなかったの。死んだ旦那さん、私のお父さんに申し訳が立たないからって言ってね。そこは、頑なだった」

「真面目な園長らしいな」

「きっと、お母さんのことが好きだったんだろうな、と思うのよ。年も近かったし、きっとお互い好きだったんだろうなって、今でも思うもの」


 自分の母も、犬飼も、かなり不器用な人だと、副園長は思う。互いに不器用だったせいか、不思議な関係で、2人の仲はとても良かった。自分の進路について喧嘩をするところなど、本物の夫婦のようだった。


 ――――――そんな副園長の母は、娘が成人して間もなく、病でこの世を去った。


 副園長のさゆりは20歳、犬飼は45歳となっていた。

 だが、不思議なことに、犬飼の見た目は25歳のころ――――――物心ついた時と、ほとんど変わることはなかった。

 怪人化した後遺症なのか、犬飼の細胞は若々しくなっており、老化のスピードが異常なまでに遅くなっていたのだ。

 なので、彼はほとんど、見た目の年齢が老いることはなかった。そうなると、問題が一つ。彼には定住できる場所がなかった。実年齢が60を過ぎても、彼は30代にしか見えなかったのだ。周囲の人たちも、当然異様な目で彼を見るようになる。


「誰かいい相手を見つけろ。そして、私のことなど忘れなさい」

「できるわけないでしょう?」


 副園長は、こんな犬飼を放っておくことができなかった。家族を失い、仲間もいない。事情を知っている、自分一人しか、彼の側にいてあげることはできない。

 結婚もせず、育ての親である犬飼に添い遂げる決意をしたのは、このころだ。


*******


「今ではもう、私の方がおばあちゃんなんだけどね」

「そんなことねえだろ」

「若作りしてるだけよ。あの人、全然老けないんだもん。困っちゃうわね、ホントに」


 昨今は高齢化やアンチエイジングなど、様々な要素が絡み合ったこともあり、犬飼と副園長の見た目上の年齢差も、さほど気にならなくなってはいる。だが、昔は本当にひどかった。ひとところに5年もいれば、周りの変化に置いて行かれてしまう。そのたび、犬飼夫婦はどこか別の場所へと移らなければならない。


「……で、今は徒歩市ここってわけか」

「私の故郷でもあったからね。最期はここにいようって、そう決めたのよ」


 副園長はそう言って、にこりと笑う。


「ここで、私たちは、最後の夢を叶えようって、約束したの」

「最後の夢?」

「……子供よ」


 二人の間に子供はいなかった。それは、犬飼園長の強い希望である。


「私のようなバケモノの子供が、どんなものになるのかわからない。だから、私は子供を作るつもりはない」


 怪人化した時から、ずっと懸念していたのだという。力強いまなざしで懇願する夫に、副園長は頷くしかなかった。

 だが、犬飼が子供好きだということを、副園長は知っていた。


「なら、代わりに、他の人の子供を育てていきましょう、ってね」


 だからこそこう提案し、「いぬかい幼稚園」は誕生したのだ。


「楽しかったわ。色んな子供たちに触れあって、遊んで、笑って……。園児たちのことで、あの人と喧嘩したりも、何回もあった。それこそ、自分の子供みたいに、一人ひとりぶつかっていったわね」

「……俺もその一人か。香苗も……」

「ええ。……あと、あの子もね」


 副園長は一冊のアルバムを取り出し、蓮に写真を見せる。

 幼稚園時代の日野静歌と、園長夫妻との写真だ。


日野静歌ひのしずか……」

「あの子の死が、あの人の心に大きく影を落としてしまったことは、間違いないわね」


 そう言う副園長の言葉は、ひどく沈痛だった。

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