5-ⅩⅩⅢ 〜怪人パワルドラン、誕生〜
会社を出た橋本智弘は、いきなり赤い髪の少年に呼び止められた。
残業をしていたおかげか、時刻は夜の8時を回っている。こんな時間にうろついているとは思わない年齢だ。いたとしても、いわゆる不良という奴だろう。
「知らねえの? 最近の学生って夜型なんだぞ」
一見すれば、オヤジ狩りのようにも見えなくはない。周りの視線もあるので場所を変えたいと言うと、少年に連れられとある唐揚げ屋に放り込まれる。
そこには兄妹のような二人組が客としているだけで、後は店の老夫婦のみだ。適当な座敷に座ると、少年が水を持ってくる。
「……君は、グラウンドにいたね」
「……ま、色々あってな」
彼が息子の所属する野球チームの助っ人をしているのは知っていた。週に何度か、グラウンドにいるのを見かけたからだ。
仕事の外回りの途中で自分がグラウンドに来ていたことも、向こうはとっくにお見通しらしい。
「……何か、聞きたいことでもあるのかい?」
智弘の問いに、少年は頭をボリボリと掻いた。そして、視線がそれるのを営業マンである智弘は見逃さない。彼の視線は客の兄妹の、兄らしき男と合わせられている。つまりは、彼らもグルという事か。
「……まどろっこしいこと隠すのも面倒だし、直球でいいか。アンタ、怪人だろ?」
少年の言葉に、智弘の指がぴくりと動く。その瞬間、少年の手が智弘の腕を掴んだ。目にもとまらぬ速さに、智弘は一瞬目を疑う。
「……君も
「生憎だが、俺はただの人間だよ」
少年は吐き捨てるようにそう言うと、ぱっと手を放す。智弘が手に込めていた力も、今の一瞬のうちに消え失せていたからだ。
「……私のことはどこまで知っているんだ?」
「怪人だろうなってことと、それが原因で離婚したこと。あと、アンタの息子が怪人として、最近になって覚醒しちまったこと」
そこまで知っているのか。智弘は頭が下がる思いである。仕事をしている関係者にも、必死に隠してきた秘密だというのに。
「別にどうするとかいうわけじゃねえんだよ。ただ、ちらちらグラウンド覗きに来るから、気になってさ」
「……本当に?」
疑いの目は晴れないが、ともかく、先ほどの動きからして、この少年が一筋縄ではいかないことは分かる。智弘が警戒していると、頼んでいた唐揚げ定食が運ばれてきた。
「まあ、とりあえず飯食おうぜ。アンタ待ってたから腹減ってんだよ、こっちは」
口で割り箸を割ると、少年は唐揚げ――――ではなく、隣のキャベツの盛り合わせに箸をつける。
「……なんだよ」
「いや、その。唐揚げから行かないんだなあと思ってね。若いのに」
「家の習慣なんだよ。とりあえず最初は野菜食えって、守んねえと母さんがうるさいから、習慣になっちまった」
どことなく家庭的な少年に、智弘の警戒心は少し薄れる。彼も割り箸を割ると、容赦なく唐揚げから食べ始めた。出来立てだったので口の中を火傷した。
なるほど、野菜から食べるのは少し冷ます意味合いもあるのか――――――。
体質的に超速で火傷が治るのを感じながら、智弘は口元を押さえた。
************
「俺が大学生くらいの頃かな。治験のバイトと称した、人体実験があってね」
紅羽蓮と唐揚げ定食を食べる橋本智弘は、ぽつぽつと語り始めた。空の味噌汁のお椀の横には、同じく空になったコップがある。大きさとこびりついている泡を見るに、これがビールであったことは誰にでもわかることだ。
「当時はお金がなくてね。生活に不便を感じていた俺は、そのバイトに飛びついたんだ。友人に誘われた、というのもあるんだけどね」
時間は1時間で、日当10万円。冷静に考えれば危ないことだというのはすぐにわかった。なにせ、最低賃金が800円台も数多く存在する日本で、その100倍以上の時給なのだから。いくら交通費も含むとはいえ。
会場に行き、簡単な問診を受けた後、筋肉注射を受ける。そして、その後30分は様子を見るために会場で待機させられた。
「これで10万ももらえるとか、すげえよなあ」
「……なんか、身体が熱くなってきた気がする」
友人と話しながら時間を潰していたのだが、変化はすぐに訪れた。
注射を打たれた肩が、激しく痛み出したのだ。最初は、筋肉注射を打つと打たれた箇所が痛む、という問診中に受けた注意の事かと思った。
だが、それが違うことに気づくのには、そう時間はかからない。痛むだけでなく、熱を持ち、筋肉が蠢きだしたのだから。
「ぐっ……ぐあああああああああああああああああああ!?」
注射を打った右肩が、激しく痙攣をおこす。待機していた部屋の壁は白く、うっすらと光が反射していたので、その時の光景はおぼろげながら見えたのをはっきり覚えている。
「自分の右腕が、まるで自分のものではないようだった」
膨張し、変形し、内側の骨が筋肉に潰されてひしゃげる。骨が砕ける痛みと骨片が筋肉に突き刺さる痛みに、脳が焼き切れるようだった。
見れば、自分と同様に注射を打った者たちも同様の変化が訪れていた。身体が膨らみ、軋み、もはや人の形を保てない。
友人を見やれば、彼の足が膨張していた。そして、とうとう膨張に耐え切れず、足がはじけ飛ぶ。
「うわああああああああああああああああああああ!!」
周囲も友人と同じく、身体が膨張に耐え切れずにはじけ飛び始めた。真っ白だった待機室は、あっという間に真っ赤に染まっていく。
「自分も、同じようにはじけ飛ぶのかと思うと、気が気でなかったよ。……まあ、それは杞憂に終わったんだが」
智弘だけは、膨張した筋肉の中で骨格が再構築されていく。何とか人の形を保ったまま、変形は終わった。
着ていた服がとてもじゃないが入らないくらい、体格が変化している。特に両腕が丸太のように太くなり、腕の重みで自然と前のめりとなる。
「う、うう……オオ……?」
声もくぐもったものに変わり、思うように声が出せない。骨格が変わり、まともな言葉を発することすらも危うい。
詳細な姿は、この部屋ではわからない。だが、自分の姿が明らかに異形となってしまったことだけは、かろうじて姿を反射する壁を見てわかる。
生きているのも、自分一人だけだ。隣にいた友人も、内臓が破裂して死んでいた。
すさまじい恐怖に、全身の血管が震えた。比喩ではなく、本当に震えるのがわかるのが、又気持ち悪い。
「ウ、ウ、ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
智弘はただただ絶叫し、腕を振り回した。その衝撃波で、友人だった死体は木っ端みじんとなってしまう。
白衣を着た悪の組織の者が部屋にやってくるころには、智弘以外の形を持つものは部屋に存在すらしていなかった。
************
「怪人となった私は、パワルドラン、と名づけられた。組織の中でも、かなり筋力に秀でた変質を遂げたからね」
智弘の話を、蓮は唐揚げを頬張りながら聞いていた。ちなみにこれはお代わりで、今日の夕食代は安里が経費にするそうだ。この時点で、安里の頭に風穴があくことは確定事項である。
「……それで怪人になったわけな」
「ああ。それで……」
「いや、もういいわ。アンタが怪人だろうが何だろうが、俺らにはどうでもいいし」
最後の唐揚げを口に放り込むと、蓮は立ち上がった。
「試合、見に来いよ。息子がせっかく投げるんだから」
「……いや、でも……」
「心配すんなよ。どーせ小太りのオッサン相手なんだから。変なことにはならねえって」
そう言い、お店のお婆さんに「請求は安里にしといて」と告げて、店を出る。
「そんじゃ。晴れるといいな」
蓮が店を出た後も、智弘はしばらく座敷に座ったままだった。5分ほどして店を出ると、酔い覚ましがてら歩く。
「……晴れる、か」
天気予報のアプリを見れば、3日後の天気は快晴だ。
その予報に、智弘の口角が上がる。この動作をするために、地獄のような日々を過ごしてきたことを、彼は今まで一度も忘れたことはない。
そして、これからも。
何かを決意したように、智弘は夜の闇へと消えていった。
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