5-ⅩⅩⅣ ~試合当日、寝坊した男~

 ――――――そして、試合の当日はやってくる。


 試合前の夜、蓮が最後にやっていたこと。それはバットの素振りでも、ルールブックの読み込みでもない。


「――――――頼むから、今日だけは本当に寝かせてくれ!」


 弟のストーカーの元へ行き、夜這いをしないでもらうお願いをすることだった。


「――――――いや、寝てればいいじゃないですか。その間に、私は済ませますから。お気になさらず?」

「気にするに決まってるだろうが!」


 当のストーカー本人、四宮詩織も、この訪問にはドン引きである。

 出されたぶぶ漬けをかじりながら、蓮は頭を下げていた。

 詩織としても、普段からヤメロと言われて叩きのめされてはいるが、このように土下座で頼まれたのはさすがに初めてである。


「……どうしろってんですか。ここで私が「そうですか、わかりました」って言って、安心して寝れます?」

「……たぶん、無理」

「だったらここで私が何言おうがダメじゃないですかぁ!」


 蓮の詩織への信頼度は、安心と信頼のゼロであった。


「……なんか一つ、言う事聞いてやるから、頼む」


 そう頼み込んで、この日の夜ばかりは来ないでもらうことを念書まで書かせることができた。なので、蓮はかなり久しぶりにぐっすり眠れたのである。


 そして、それがいけなかった。

 普段、碌に寝られない男が急にぐっすり熟睡したら、一体どうなるか。答えは言うまでもない。


 スマホを見やった蓮は、「うわあああああああああ!!」と思わず叫んでしまった。おびただしい着信の数もあるが、それ以上に時間である。


 なんと、9時25分。試合開始の5分前。

 当初の予定では1時間は早く来て準備やら調整やら、作戦会議などするはずだったのだが。


(や……やっちまったああああああああああああ!!!)


 慌てるあまり階段から転げ落ちると、すぐさま着替えを手に取る。転倒のダメージは、一切ない。


「あら蓮ちゃん、随分慌ててるのね?」

「慌てるに決まってんだろーが!! つーか何で起こしてくれねえんだよ!!」

「だって起こしても起きないんだもの」


 蓮は最強ゆえに、眠りを妨げられるものが存在しない。そのため一度寝てしまうと、たとえ隣で核が炸裂しようが自分で起きるまで絶対に起きない。それをわかっていると、起こすというのもバカらしいというものだ。


「ぐぬぬぬぬぬぬ……!!」


 とにかく、上は寝間着のままで、顔も洗う暇がない。とにかく下にジャージと、スニーカーだけ履いて、蓮は家を飛び出した。そして、すぐさまスマホの着信履歴から、一番上の番号に電話を掛ける。


「もしもし!」

『あ、蓮さん!? 今どこ!?』


 電話は、愛の携帯だった。八木、愛、安里から電話がかかっていた。その中で一番新しかったのが愛の番号だったのだ。


「悪い、寝坊した! 今から行くから!」

『もう試合始まるんだけど!?』

「急ぎゃすぐ着くから!!」

『もう、何やってんの本当に!!』


 そう言う愛の傍らで、安里の声がかすかに聞こえる。


『愛さん、蓮さんから連絡来ました? え、寝坊? すぐ来る? わかりました。えー、会場の皆さんにお伝えします。ウォーカーズ助っ人の紅羽選手ですが……』

 

「……何やってんだよお前らはお前らで!?」

『いいから早く来て! 間に合わなくなっても知らないよ!?』


 愛の甲高い声に耳を遠ざけながら、蓮はスマホを切った。全力で走るには、スマホは邪魔だ。


 足に力を込めると、人がまばらにいる道路を音速以上の速度で突き抜ける。新幹線くらいの速度で走れば、試合には十分に間に合うはずだ。


 ただし、この速度で町を走るのには、大きな問題がある。

 周りの人にかすりでもすれば、その瞬間に大事故になりかねない。なので、普段はよっぽど人がいない時しかこれは使えないが。


 こんな時間では四の五の言っていられなかった。とはいえ、事故は怖いので人がなるべく少ない、かつ最短距離をキープしながら走る。


 誰かの家の塀の上を走りながら、蓮は腕時計を見やった。


(……何とか、間に合うか?)


 そう思い、視線を前に戻した瞬間だ。


 目の前を、何か巨大な塊が横切った。


「あっ!?」


 咄嗟に足を止め、塀から飛び降りる。人の家の庭に着地するが、やけに静かだ。みな、仕事に行っているのだろうか。

 いや、其れよりも今横切ったものだ。いきなり飛び出してきて、危うく轢き殺すところだったではないか。


「……ん?」


 ぶっ倒れているのは、人ではない。いや、人型ではあるのだが、人間ではなかった。


 倒れているのは怪人である。それも、見るからに強化手術を受けた、いわゆる戦闘員ではない怪人らしい異形の姿だ。


「何だこりゃ……」


 怪人が吹っ飛んできた方を見やると、何人かが一つの影を取り囲んでいる。

 複数の異形は見たことのない、異様な身体の奴ら。

 そして、それ等に取り囲まれていてるのは……。


 蓮は、思いっきり怪訝な顔になる。


「……何してんだよ、あのオッサン!」


 気付けば、駆けだしていた。本当なら、放っておくに越したことはない。蓮は別に正義漢でもないので、怪人との争いに首を突っ込むのも、できることなら避けたい。試合があるのだからなおさらだ。


 だが、彼ばかりは放っておくわけにはいかなかった。


 怪人たちに取り囲まれている男めがけて、蓮は声を張り上げる。


「何やってんだ――っ! 橋本ォォォォォォォォォォ!!」


 ぼろぼろの姿でそこに立っていたのは、橋本智弘。


 本来なら、グラウンドで息子のピッチングを見ているはずの男だったのである。

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