12-Ⅵ ~思いがけない依頼~

「……それで、結局全部食べ切るのに40分もかかったと。あの早食いの蓮さんが」

「うっせえ……」


 苦しそうに仰向けに倒れている蓮を見やりながら、安里は苦笑いをする。まるでデブの様に、蓮のお腹がパンパンになっていたのだ。その膨らみようは、普段は見ることのない蓮のおへそを見ることができるくらいである。ちょっとセクシーだ。


「畜生め、もう二度と行かねえぞ、あんな店……」

「でも、結構人気なんでしょ?」

「安くて食えるから人が来るだけだ! うっぷ」


 文字通りほぼ無限のカツを気合で食いきった反動か、蓮は非常に苦しそうにしている。これもまた、紅羽蓮の弱点だなあ、と安里はしみじみと思っていた。


「……それにしても、蓮さんがパンパンになるくらいご飯食べさせるなんて、採算大丈夫なんですかね? ほかの人にもやってるんでしょ?」

「知らねーよそんなん。大丈夫なんじゃねーの。じゃなかったらそんなことしねえだろ」

「ふーむ……ちょっと気になりますがねえ。……ところで、商店街はどうするんですかね」

「それも知るかよ。アイツら、やる気なさそうだし……」


 そんなことを言っていると、事務所のドアが開く。二人同時に、現れた人物の顔を見やった。年配の女性である。もちろん、面識はない。


「あの、安里探偵事務所さん、ですよね? 依頼があるんですけど……」

「ああ、どうぞどうぞ。ほら、どいてください、そこのデブ」


 ぶっ殺してやろうかと思ったが、お腹が重すぎてそんな気力もわかない。蓮はあふれ出る怒りを抑えながら、よろよろと自分のデスクに戻っていた。


「……あの、彼は?」

「ああ、お気になさらず。ただの食べ過ぎですから」

「はあ……」


 女性は、ぽかんとした様子で蓮を見やった後、蓮が寝ていた応接用の椅子とは反対の椅子に座った。そりゃそうだ。安里は蓮のいたところに座る。


「それで、何でしょうか? 飼い猫から主人の浮気まで、探せるものなら何でも探しますよ」

「……はあ。実は……」


 依頼人の名前は――――――更科さらしな和子かずこ。旦那は、商店街でそば屋を営んでいるという。


「もしかして、てくてくロードの「更科」か?」

「ええ……そうだけど。あなた、もしかして……西田君が言ってた、紅羽蓮君?」

「……そんなに有名なの、俺?」

「そりゃねえ。あの野球以来、商店街にも学校の子が遊びに来てくれるようになったからねえ」

「あー、そう」

「だからこそ、困るのよ! こんな時に、商店街に大打撃なんて与えられたら!」

「……なるほど、となると、やはり?」


「美味フーズの新社長! あの人の、弱みか何か、探してほしいのよ!」


 このおばちゃん、何をとんでもない事を言い出すのか。蓮は目を疑った。


「……え、そういう感じのご依頼ですか?」

「主人もほかの店の人も、危機感がないのよ! 商店街存続の危機だっていうのに、主人もほかの店の人も……主人に相談したら、なんて言ったと思う!? 「何とかなるだろ」ですって!」


 ヒステリックに喚き散らすおばちゃんに呆然としながら、蓮は依頼人を見ていた。前の野球の時もそうだったが、こいつらどいつもこいつも極端すぎないか。


「だから、私がしっかりしないといけないの! 美味フーズの社長なんて、地元の大企業だもの。弱みの一つや二つあると思うのよ! あんな一方的な打ち切り宣言、到底認められるわけがないじゃない! ずっと一緒にやって来たのに」

「だからって、いきなり弱みを握りたいというのは、なかなかに豪胆ですよ、奥さん」

「し、仕方ないじゃない! 私しか危機感がないんだから……」

「まー、こうして依頼人として来ているわけですからね。こういう風に直接依頼を話される場合、こちらも依頼を受理するかどうか、考える期間が必要になります。追って連絡しますので、今日のところはお引き取りを」


 安里はやんわりと笑いながら、超適当なことを言っている。依頼については即決がほとんどだ。愛の時もそうだったし。

 本心では断りたいのだろうが、「断る」ってここで言ったらさらにヒステリーを起こしそうなので、こういう言い方をしてるのだろう。おばちゃんは渋々ながらも去っていった。

 事務所のドアが閉まったのを確認してから、蓮と安里はため息をつく。


「「はあああああ~~~~~~~」」

「めんどくさい事になっちゃいましたねえ」

「お前、どーすんだ。あんな無茶苦茶な依頼よぉ」

「どうしましょうかねえ。ほったらかしてもいいんですけど、それはそれで困りそうなんですよねえ。名刺、取られちゃったし」


 連絡先を渡さずそれとなく帰そうとしたのだが、「名刺ください!」と強く言われて、朝とも名刺を渡さずにはいられなかった。つまり、向こうからいくらでも連絡してこれる、という意味でもある。


「あんな怖いおばちゃんのヒステリックな電話、怖くて受けられませんよ」

「もっと怖え奴と散々絡んどいて、何抜かしてんだよ」

「あの人に比べたら、怪人なんて可愛いもんです」


 安里はそう言いながら、くるくると回転いすで遊び始める。

 蓮は膨らんだ腹をさすりながら、また苦しそうに応接室のソファに横になった。

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