12-Ⅶ ~地獄への道は善意で舗装されている~

「ただいまー。……あれ?」


 学校から自宅のお弁当屋に帰ってきた際、愛は見覚えのある人物と顔を合わせた。平等院十華の屋敷で見かけた、顔つきの険しい男である。


「……ああ、どうも」

「どうも……失礼しまーす……」


 会釈をして、奥に入ると、厨房担当のエイミーが仏頂面で立っていた。


「……どうしたの?」

「どうしたもこうしたもあるか! 何なんだアイツ、こないだは食べなかったくせに」


 エイミーと父から、美味よしみ真保まさやすが先日この店に来たことは、愛もすでにうかがい知っている。


「何だろうね? 社員さんにでも買うのかな」

「社長がわざわざ社員に買うのか?」


 ……とても、そんなことは考えにくいよね。逆ならわかるけど。


「まあ、わざわざ買ってくれるなら、別にいいんだけどね」

「でもせっかく作ったんだから、食べてもらってなんぼじゃないか。私だったら絶対やらないぞ? 食べ物残すなんて」


 ちょっと前まで宇宙のお嬢様だったはずなのに、今の彼女のなんと庶民的な事か。地球に来てから、彼女には貧乏根性が植え付けられているような気がする。


「……でも、どうだろうなあ」

「何が?」

「いや、私もレジやってるときに、時々見るんだけどね」


 父たちが作った弁当をお客さんに手渡すときに見せる、お客さんたちの顔。少しにやけて、ちょっとだらしなくなる笑顔。

 人間の三大欲求の一つを大いに刺激する、出来立てホカホカのお弁当の香りに、多くの人は頬が緩むのだ。

 それこそ、あの紅羽蓮ですら、好物のジャンボミックスフライ定食を買うときには、ちょっとだけ口角が緩むのである。普段むっとした顔しかしないので、かなりのレアものだ。

 それを知ってか知らずか、蓮はエイミーがレジをしている時にしか、最近店に来ないのだが。


「さっきの美味さんも、そんな顔してたよ? 食べ残したりは、しないんじゃないかなあ」

「……そうなのかぁ?」


 エイミーはまだまだ訝しんでいる。愛は苦笑いしながら、自分の部屋へと戻った。


「……美味社長、かぁ」

「何だ、何か気になるのか? あの男」

「夜道さん!」


 愛の背負う竹刀袋から幽霊、霧崎夜道が現れる。


「べつに、そんなに気になるわけじゃ……」

「……まあ、俺も少し気になった」

「え?」


 思いもよらない夜道の言葉に、愛はキョトンとする。


「なんで夜道さんが?」

「アイツ……妙に、悪い気に憑かれているようだしな」

「悪い気……? 悪霊ですか?」

「そんな大したもんじゃない。だが、あの男、精神的になかなか参ってると思うぞ。陰の気が、なかなかに溜まっていたからな」


 陰の気というとそれっぽいが、言ってしまえば「運気」だ。陰陽でたとえられ、「陽」なら幸運、「陰」なら不運。そう言った気を、生き物は持っているらしい。


「でも、社長さんになったって言うなら、運はいいと思うんだけどな……」

「お前の親父も社長だろ。一応な」

「あ、そっか。あんまり気にしたことなかったけど、そうなるんだ」


 ……とはいえ、しがないお弁当屋と地元の大企業の社長ではえらい違いだ。やっぱり、自分みたいな庶民とは違う気がする。

 そんな人には、そんな人なりの苦労があるのかもしれない。


(……ま、わかるわけないか。私、庶民だし)


 そう切り替えた愛はベッドに身体を投げ出すと、スマホをいじり始める。

 新しいクソ映画を探しながら、愛はふと思い出した。


(……そう言えば、私……さっき……)


 お弁当を買いに来た人の顔の話を、エイミーとしていた時のことを思い出す。


 ――――――あの時、なんで私は、蓮さんの顔を思い浮かべたんだろう?


 少し考えたが、愛はすぐに考えるのを止めて、クソ映画探しに集中し始めた。


(……蓮さん、今日、事務所に出勤だったっけ?)


 なんとなく気になって、スマホに保存しているバイトのシフト表を見やった。今日は蓮だけが出勤の日。愛はお休みである。


 となると、現在仕事中。閑古鳥のなく探偵事務所だが、意外と電話はつながらない。暇すぎて、ほとんどのケースで蓮が寝ているからだ。

 シフト表を見ていると、今日の蓮のシフトは閉店、つまりは夜までだ。現在時刻は15時。まだ時間がある。


 愛はむくりと起き上がると、思い立ったようにふん、と頷いた。


 ――――――せっかくだし、差し入れでも持って行きますか。

 愛は制服から普段着に着替えると、2階から1階に降りる。今は両親の二人とも店の方法の厨房にいて、家のキッチンは誰もいない。


「……やりますか!」


 袖をめくると、愛は鼻歌混じりに油を鍋に注ぎ始めた。


******


「こんばんはー」

「あれ? 愛さん?」

「んあ?」


 安里探偵事務所に本来休みのはずの愛がやって来たのは、夜の19時頃である。案の定、蓮はソファでグースカと寝ていた。


「今日はお休みでは?」

「わかってますよぅ。差し入れに来たんです」

「差し入れ」

「はい。お夜食作ってきました」

「あらま。これはどうも」


 ナプキンに包んだお弁当箱を安里に手渡すと、彼はいつも通りのニコニコ笑顔で受け取った。


「蓮さんも。はいこれ」

「……飯?」

「お弁当ね?」


 眠たい目をこすりながら、蓮は愛の弁当箱を開ける。その瞬間――――――眠たげな彼の目が、カッと見開かれた。


「……え、これって……」

「? カツ重だけど」


 愛のお弁当箱――――――というか重箱の中には、開けたとたんに芳醇な香りの卵とじとんかつがぎっしり。手に持った時の重さから、更に下にはご飯が詰まっていることは、ように想像できた。


 蓮は恐る恐る、自分の腹をさすった。少し寝たこともありだいぶ苦しみはなくなっていたが、それでもずっしりと、胃は重い。

 ちらりと安里を見やると、彼は必死に笑いをこらえていた。


「……え、えーと……」


 どうしようかと思ったが、せっかく作って来た愛の表情を見るに、食べないという選択肢はない。


「……いただきます……」


 幸いな事に、愛の作ったカツ重は、とても美味しかった。

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