12-Ⅷ ~美味フーズの内情~

 家のトイレから出たとき、蓮は何とも言えない切なさに襲われていた。


(……腹減った)


 昨日、あんだけとんかつ食ったのに。昼夜合わせて、三日くらいは何も食わないでいいくらいだろうと思っていたのだが。


(……食ったモン出したら、カラッケツになっちまったな)


 あっという間に空腹になってしまった自分の胃袋に、虚しさと、少し恐ろしさを感じている。


「蓮ちゃん、今日はバイト?」

「昼過ぎからな」

「じゃあ、ご飯は食べてから行くのね?」

「おう」


 母とそんな会話をしながら、朝食の食パンを手に取る。用意されたチョコレートクリームを塗りたくったのが2枚。塗った面を重ねて、2倍チョコパンで食べるのが紅羽蓮流だ。


「あ、兄貴! その食べ方やめてって言ってるでしょ!」


 妹の亞里亞が、蓮のパンの食べ方に難色を示す。パンの消費もチョコクリームの消費も2倍になるのだから、他家族の分が少なくなってしまうのだ。


「……だって、こうでもしねーと足りねーし……」

「にしたって食い過ぎでしょうよ」


 ぶつくさ言いながら、亞里亞も食パンを手に取り、チョコクリームを塗る。彼女の朝食は、パン1枚のスタンダードチョコパンであった。


 まあ、1枚も2枚も大して変わらず、食パンは所詮食パン。兄妹はほぼ同時に食べ終わる。そして、亞里亞はまた自分の部屋に戻ってしまった。


「……本当に飯だけ食いに下りて来たのかアイツは……」


 呟きながらテレビを点けると、土曜日ながら朝のニュース番組がやっている。ぼんやりと眺めていたのだが、とあるニュースにピクリと、とげとげした髪が動いた。


『地域最大手の食品会社、渦巻く権力闘争』


「あん? これ……」


 社名は公表されていないが、その会社があるのは、「某県徒歩市」である。蓮がよく使う、桜花院女子や安里探偵事務所の最寄りである「徒歩駅」が映っているのだから、間違いない。


「名前ぼかす意味あるのかしらねえ。全国の番組だからかしら」

「地元民にはバレバレだけどな」


 淹れたお茶を飲みながら、母は呟いていた。美味フーズは、ちょっと天然な母ですら知っているほど地元では有名なレベルの企業である。


「激しい権力闘争、ねえ。大変ねえ、大きい会社も」

「そうだな」


 ニュースではフリー素材の絵を使っての説明となっていたが、「父親と息子の派閥争い」ということが強調されていた。


「……親父と喧嘩ねえ……」

「蓮ちゃんはパパと喧嘩しないでね? 私泣いちゃうから」


 蓮はため息をついた。そんなことになったらこの母は、おそらく本当に泣く。そしてきっと、誰にも止められない。


「心配いらねえよ、アメリカにいる間はな」


 むしろ、変な女に引っかかったりして、夫婦ゲンカになる方が厄介だ。

 けだるげにテレビを見やりながら、蓮はいがみ合う父と息子のイラストを眺めていた。


******


「実際調べてみたら、いやあ、黒い黒い」


 安里探偵事務所に出勤すると、安里は笑いながらパソコンに向かい合っていた。


「……ホントに調べたのか」

「聞いてびっくり、あのおばあちゃん、夜に『ちゃんと検討してくれてるの?』って電話してきたんですよ。3回も」

「そこまでか……」


 若社長の弱みが、そんなに欲しいのか。あのババア。


「しょーがないから寝る間も惜しんで調べものですよ、こっちは」


 それで、真夜中に美味フーズの会社の情報を調べたらしい。真夜中だからか、保守もろくになく、楽々入れたそうだ。いや、それでも入れるのはおかしいんだけど。


「……明らかに入っちゃいけないところまで入ったろ、それ」

「しょうがないでしょう。弱みと言ったらそういう部分ですからね」

「で? 何がわかった」

「はいこれ」


 安里が蓮に見せたのは、人物相関図だった。わかりやすく、写真と矢印でまとめてある。

 中心にあるのは、もちろん美味真保。そして、対立しているとわかる、年配の男。


米浦よねうら伸介のぶすけ?」

「常務ですよ。この会社のね」


 第一営業部と言えば、地域のお店に根差した部門だったはずだ。それで、前の社長の親父が推してたっていう。


「つまりは……前の親父派ってことか?」

「美味フーズは今、渦のど真ん中にいます。大きな変革のね。その原因は、言うまでもありません」

「息子か」

「元々お父さん懇意の食品会社で勤めていたそうで、いわゆる出戻りですね。因みに、元居た会社では課長代理に匹敵するほど昇進したとか」

「何かそう言われると、急に大したことない感じがするんだけど」

「現場のナンバー2と言えばわかります?」


 なるほど、それならまだわかる。現場でも結構なレベルに到達しているらしい。因みに安里が調べたところでは、課長クラス、つまり現場最高責任者を任せてもいいほどの実力だったらしい。あくまでも出戻りありきの人事だったため、課長のポストに収まることはなかったが。


「言っときますけど、大手ですからね。課長クラスになると、年収で言えば500~600は下らないでしょう」

「そんな叩き上げの息子が、満を持して帰って来たってわけかあ」


 そして、急激な営業方針の転換を図っている。それは、現場で自信が付いたからのことなのか――――――。


「ま、資料を見ただけなので、人の心まではわかりませんけどねえ」

「……そんなもんか。で、肝心の弱みってのは、見つかったのか?」

「うーん、まあ、これくらいですかねえ」


 安里がそう言って取り出したのは、一枚の写真だ。それも、人間のものですらない。


「……貝?」

「牡蠣ですよ。昔中ってから苦手なんですって」

「随分としょっぱい弱みだな」

「生食もできないみたいです。火を通さないと物を食べられないようですね」

「……これで、あのババアが納得いくと思うか?」

「無理でしょうねえ。蓮さん、どうします?」


 安里は困ったように蓮を見やったが、蓮は「知らね」と言い捨てて応接ソファに寝転がった。

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