12-Ⅸ ~美味フーズ常務、米浦の憂鬱~

 米浦よねうら伸介しんすけは、ビルの廊下を早歩きしていた。すれ違った若い社員が、思わず立ち止まり、挨拶する間もないほどの速度と、形相だった。


 彼自身、やりたくてこんな速さで歩いているわけではない。御年63で、定年まで残り2年。ちょうど4年前、59歳の時に社内規定が変わり、定年が65歳に引き上げられたのである。

 現場で働く社員にとっては長く働けて老後も安心、なのかもしれないが、当時から第一営業部長だった米浦にはいい迷惑だった。後1年で定年を迎え、悠々自適な余生を過ごせるはずだったのに、後5年も働かなければならないのだ。

 役員には役員報酬というものがあるから、現場で汗水たらして働く社員とは、文字通り桁が違う。老後の資金などとっくに貯め終わっているというのに。


 そして、今年に入ってから、米浦は自社ビルを歩き回らなければならなくなってしまった。


「社長は、また勝手にどこかに行ったのか!?」


 常務である自分に一切の連絡もなく、急なアポイントメントでどこかに行ってしまう、というのが、新社長である真保の厄介なところである。社長決裁が必要な時にも、「後で見るから社長室に置いておくように」と言われ、待ちぼうけを食らってしまったのだ。もちろん、電話もつながらない。

 本人は「あいさつ回り」というが、秘書に聞いた彼の訪問履歴は明らかに地域の商店街ばかりだ。つまりは、第一営業部長兼常務取締役である米浦の領分である。


(……人の縄張りを探って、何を考えているんだあの若造は……!)


 白髪染めが艶めくオールバックで光を照り返しながら、米浦は誰もいない社長室から、営業部のデスクへと戻ってきた。


「はあ、はあ……」

「大丈夫ですか、常務?」


 コーヒーを持ってきた女性社員からもらったコーヒーの香りで、米浦は呼吸を整えた。社長室と自分のデスクまでは、2フロア下りて真逆の位置にある。本当になんで、このビルはこうも間取りが極端なのか。


「いや、年も年だからな。きついよ」

「言ってくだされば、伝言をお伝えしますけど」

「いいや。こればっかりは、自分で言わんとダメだ」


 米浦を含む社員一同、先代社長の倒れたという報せには心底驚かされた。先代も年齢は米浦より一回り程度で、なんなら一緒にゴルフに行ったときなど、米浦達役員よりも元気なくらいだったのに。


 そして、大手に修行に出させていた真保が、満を持して戻ってきた。

 ひとまずは会社も大丈夫だろうと思っていた時に、真保は社長演説でこう告げたのだ。


「営業部の優秀な人材を適切に分配するために、営業部はすべて統一します」


 この組織改編によって、第一営業部にいた自分たちは、一斉に同じフロアに集まって仕事をすることになった。今までは第一営業部で、一フロアを独占していたというのに。

 こうすることで浮き出るのは、他部署との活気の差である。


 第二営業課、第三営業課は、小さいながらも精鋭ぞろい。こちらで用意したノルマを、粛々とこなす力がある。それは、ひとえに揃っている人材が優秀な営業マンであるからだろう。


「すいません、またうかがってもよろしいでしょうか」

「はい、見積もりについては、お渡ししたもので間違いありません。……そうですね、それでは、少し勉強させていただきまして――――――」


 ひっきりなしに電話をして、社員は入れ代わり立ち代わりである。若手社員も先輩について、あちこちへと営業へ出ていた。

 そんな中、一部の年配は、あまり外に出ることがなかった。ほかでもない、元第一営業部の面々である。以前は課長職についており、役職もちでふんぞり返っていた面々だったのだが、現在は第一営業課として、ひとくくりにまとめられてしまっていた。

 第一営業課の平均年齢、なんと54歳。しかも全員男性で、人数は20人。ほかの部署と比べても、明らかに規模が小さくなっている。


 真保による人事で、若手社員のほとんどが第一営業部を離れることとなった。後方支援の企画開発部、社内コンプライアンス監視の管理部、新戦力拡充の人事部、経理の総務部など、様々な部門に若い社員を分散させ、営業部では第二、第三営業課に配属されることとなった。 

 かつて自分たちがこき使っていた若い社員たちは、他の上司に使われ、自分たちは数年ぶりに現場営業を余儀なくされている。そして、彼らは営業の経験が、ほとんどなかった。第一営業部時代の後方支援担当部門で、そのままキャリアを積んだ者たちだったのだ。


(……なんという活気のなさだ)


 米浦はかつての第一営業部時代を思い出す。先代社長勝太郎の影響で、当時の社員は肩で風を切って歩いていた。自分はそんな第一営業部のトップ。恐れるものなど、何もなかった。


 だというのに。


「中西課長」

「な、なんでしょうか」


 第一営業課長、中西に話しかける声が、米浦の耳に入った。第二営業課長の早良である。中西よりも、10も年下の45歳。現場からなりあがった課長であった。


「第一営業課は、今日は外出はなしですか」

「いえいえ、皆午後から営業に出る予定で」

「……社内カレンダーに、予定が入ってませんけど」

「ああ、申し訳ありません。入れるように言っておきます」

「お願いしますね。……あ、それと。もう一つお願いしたいことが」

「何でしょうか」

「12時から打ち合わせをするので、資料のコピーをお願い出来ますか。みんな営業で外出していて、私もこれからでなくてはいけなくて、頼める人がいないんです」

「は、はあ……」

「部門フォルダに入ってますので。お願いします。それじゃ」


 早良はそう言い、足早に出て行ってしまう。よっぽど時間も惜しいのだろう。オフィスのドアを閉める音がして、米浦はため息をついた。

 華の第一営業部が、今や若輩の資料のコピーとは。なんとも、情けない話だ。かつて中西は、早良に資料を作り直させる立場だったというのに。


(――――――このままでは、終われん)


 この屈辱、晴らさずに定年退職などできるはずもない。

 米浦の真保への憎悪が、図らずも彼自身の労働意欲を掻き立てているのだった。

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