5-ⅩⅩⅠ 〜50年の確執〜

 高校時代。前年は県大会準優勝という成績から、今年こそは甲子園に出場するぞと、息まいていた野球部。


 松武夫はそんな野球部のエースピッチャーだった。榎田健司はそんな彼を支えるバッテリーとして、毎日の練習に精を出す。


 野球にすべてを捧げた高校時代だった。


 実際、松のピッチングは全国でも十分に通用するものだった。榎田自身、この男と一緒なら、甲子園には出場できる。そう確信していた。


 だからこそ、突然の告白に榎田はひどく動揺してしまったのだ。


「……俺は、野球をやめるよ」


「……はあ!? 何言ってんだよ!」

「元々、惰性で続けていたんだ。だから、その……野球をやめて、大学に進学するよ」


 いきなり呼び出されたことに、胸騒ぎを覚えなかったと言えば噓になる。

 だが、彼の言葉は当時の榎田の想定よりもはるかに衝撃だった。


「……ば、バカ言ってんじゃないよ!! 3年だぞ!? 甲子園、最後のチャンスなんだぞ!? お前が投げないで、誰が投げるんだよ!!」


 榎田の言葉に、松は沈痛な面持ちで顔を背けてばかりだ。何も答える気はない、そう言いたいのか。


「……お、おい! 何とか言えよ!! タケ!!」


 胸倉を掴んでも、松は何も答えてはくれなかった。乱暴に彼を振り回し、引き倒して

も松は決して言葉を発さない。

 最後に、「すまん」とだけ言い残して、松はその場から去っていった。


 その翌日、顧問から松が退部したことを聞かされた野球部は、瓦解したと言ってもいい。それでも地区大会を勝ち抜くことができたのは、榎田が必死に繋ぎとめたためだった。


 だが、それでも結局は準々決勝で敗退。甲子園で戦うことは終ぞできずに終わってしまった。


 挙句の果てに甲子園の夢を託そうとした息子はサッカーに傾倒してしまい、折り合いまで悪くなる始末。自分の頑固さが原因だという事は分かっているのだが。


 それでもどこかで、まだ自分の夢を受け継いでくれる者がいることを願っているのか。だから少年野球の監督なんて、好きでなければ到底やらないようなこともしているのだ。


*************


「……なるほど。組合長とはお知り合いだったんですね」

「それからは口も利かなかったし、学校でも目を合わせることはなかったがね。聞いた話じゃ一流大学を卒業して、堂々と呉服店を継いだらしい」


 榎田の昔語りを、蓮たちは黙って聞いていた。


「だから、アイツがグラウンドに来た時、正直驚いたよ。まあ、話はひどいもんだったがね」

「松さんが話したこともあって、余計にケンカになったわけですね」

「……そうかもしれん。ワシはまだ、アイツを許せんのでしょうな。50年も前の事なんだから、水に流してもいいのに」

「青春を捧げていたんですから。それを台無しにされちゃ恨むのもやむなしでしょう」


 榎田の言葉に、安里が米を食べながら言う。こいつ、まだ食べ終わってなかったのか。


「……なるほど、当時の雪辱も晴らす、いい機会じゃないですか」

「そ……そうかね?」

「そうですとも。そう言う事なら、僕もお手伝いしますよ」


 安里がにこにこと笑いながら、榎田の腰をさすってやる。


「安里さん……ありがとう、ございます」

「いえいえ」


 そう笑う安里の顔を、蓮と愛はジト目で見やっていた。


*************


「テメー、何企んでやがる?」

「なんのことです?」


 榎田の家から帰る道の途中、蓮が安里に問いかける。安里と言えば、とぼけたようにパンパンの腹をさすっていた。


「ふざけんなよ。わざわざあんなこと言って、ジーさんのやる気煽る必要ねえだろうが」

「あんなこと……ああ、榎田さんの確執ですか」

「私的には、むしろ和解してもらった方が、グラウンドの問題も円満に解決すると思うんですけど」


 愛の言葉に、安里は「ふふふ」と笑う。


「男というのは、いくつになってもぶつかり合うもんですよ。そうしてこそ、より絆も深まるってもんです。ほら、「仲良くケンカしな」っていうでしょ?」

「ほかの奴まで巻き添えになるケンカはマズイだろ……」


 これが榎田と松だけで解決するなら、蓮だって「めんどくせえからもう殴り合えよ」と言ったかも知れない。だが、事態はそうではないのだ。草野球チーム、少年野球のチームまで絡んでくる。もう当事者同士で済む問題ではない。


「まあ、最終的には握手して和解できるエンディングは僕だって目指しているので。それでは」


 気付けば、黒い車で朱部が迎えに来ていた。安里は颯爽と乗り込むと、蓮が「おい!」という間もなく走り去ってしまう。


「……アイツ……!!」

「どうするの、蓮さん?」


 愛が心配げに蓮を見やるが、蓮には結局参加するという方針を蹴る道はない。

 一度助っ人として参加するのを決めた以上、八木や子供たちを裏切るわけには、いかなかった。


「……くそ、癪だなあ……」


 結局、安里の手のひらの上で転がされている感じがするのは、どうしても否めなかった。

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