5-ⅩⅩ 〜グラウンド整備を終えて〜

 なんでこんなことになったのか。蓮と愛と安里は、それぞれの顔を見あわせながらそう思っていた。

 すっかり日も落ちた夜に、蓮たちはグラウンドの掃除を終えて、別の場所にいた。だが、それは安里探偵事務所でもなければ、蓮や愛の知っているところでもない。


「ごめんなさいねえ、ウチの人が迷惑かけて」


 初めて会うおばあちゃんに、晩飯を振るわれているというこの状況。一体どういうことなのか、さっぱり理解が追い付かなかった。


「いえいえ。……率先して、グラウンドを整備されていたようですし」

「もういい年なのにねえ。腰を痛めて運んでもらうんだもの、悪いわねえ」


 和室のふすま越しに、聞き覚えのある声で「ううううううう」と呻く声が聞こえる。ウォーカーズ監督の榎田の声だ。


「でもいいんですか? 夕飯ごちそうになっちゃって」

「いいのよ。息子も結婚して、今はあの人と二人だけだし。やっぱり、若いこと一緒にご飯食べる方が楽しいものねえ」


 そう言って、おばあちゃん――――榎田の奥さんは、にっこりと笑い、ご飯をよそってくれた。愛には普通盛り、蓮と安里には大盛。


 蓮は普通だったが、安里は笑顔を若干ひきつらせた。こんなに食べれないのだろう。

 だが、奥さんの前でそれをストレートには、流石に言えなかった。


*************


 ことの発端は、子供たちの基礎練も一通り終わり、再びグラウンドの整備に差し掛かったころ。蓮たちが手伝ったおかげか、1日でほぼほぼグラウンドの整備は済んでいた。もっとも、体力は有り余るほどにある蓮が、半分ほどほぼ一人でやったのだが。


「いやあ、すまんかったね。手伝ってもらっちゃって」

「いえいえ。グラウンドの整備だったら、言ってくれればまた手伝いますよ、蓮さんが」

「おい」


 調子のよいことを言う安里を、蓮が小突く。その様子を見て榎田は声を上げて笑った。


「あなた方は本当に仲がいいなあ」

「よかねえよ、こんな奴」

「え、ひどくないですか?」

「いや、仲が良いですよ。……本当に」


 そう言い、榎田は、思い切り腰を反らした。


「さて、私は改めて試合までの練習メニューの確認を……」


 その時だ。榎田の目が、くわっと見開かれ、血走ったのは。


「ぐ……っ!?」


 こらえるようにぶるぶると震え、そして。


「……ぎゃあああああああああああああああああああああああ!!」


 叫ぶと、榎田は転げるように地面に倒れ伏した。


「え、榎田さん!?」

「おい、どうした!?」


 慌てて駆け寄ると、榎田は倒れながら腰を押さえている。


「……腰ですか?」


 安里がぴたりと触ると、榎田はこの世のものとは思えない悲鳴を上げた。


「あー、こりゃ、間違いねえな」

「そうですねえ。これは……「魔女の一撃」ですね」


 魔女の一撃。西洋ではそのように言うが、日本ではこう呼ばれる。


 ぎっくり腰である。


*************


「いやあ、面目ない……。いててて」


 隣の部屋で寝かされている榎田が、呻きながらこっちに向かってこようとする。


「お父さん、無理しちゃいけませんよ。ご飯なら持っていきますから」

「す、すまん」


 ……まあ、グラウンドの整備も張り切ってたみたいだし、歳だし。仕方ないと言えば、仕方ないのだろうか。


「もう。いつになく張り切っちゃってねえ。やっぱり、あれが理由かしら?」

「あれ?」


 尋ねる愛に、奥さんは顎で壁を示した。


 数多くの写真が飾られ、野球のグローブやバット、本が並べられている。榎田の野球好きが、家の居間にまで侵食しているらしい。その隣にはトロフィーがあるが、それは榎田のものではなく、どうやら息子のものらしい。


「お父さんの野球好きがたたって、息子はサッカーをやるようになってね? 今でも、孫がサッカーやってるから、お父さんと会うたびに喧嘩になっちゃって、それ以来顔を見せに来ることが少なくなっちゃったのよ」


 それはまた、息子さんも災難な。いくら自分が野球をやっていたからと言っても、子供にまで押し付けるもんじゃないだろうに。


 そして、息子のトロフィーの横には、かつての榎田の野球人生が写真となって飾られている。


「私とお父さん、高校時代同級生だったのよ。それで、私を甲子園に連れて行ってくれるって話だったんだけど……。結局、地区大会の準々決勝で負けちゃってね?」

「い、いいだろう。その話は、もう」


 悪戯っぽく笑う奥さんに、榎田が困ったような声を上げる。止めたいが、腰の痛みで身体が思うように動いてくれないのだ。


「……あれ?」


 写真をまじまじと見ていた蓮が、ふと、写真に違和感を覚えた。


「どうしました、蓮さん?」

「いや、その……この写真」


 蓮が手に取ったのは、野球部のメンバー一同が写った写真だ。それは、榎田が高校2年生の時のものである。先輩と一緒に撮った写真だ。


 だが、蓮が気になったのはその中の一人である。


「あら、気づいた?」

「……やっぱり。これ、アイツじゃん」

「アイツとは?」


「……松武夫」


 写真横に並んでいた部員の名前に、はっきりそう書かれていた。他人の空似、というわけではない。


 これは正真正銘、商店街の組合長で、今回の事件の発端となった、松武夫だ。


「……同じ野球部だったのかよ!?」

「ええ。しかも、バッテリーだったのよ? この二人」

「は!?」


 蓮たちは一斉に榎田を見やった。榎田はバツが悪いのか、何も言わずに顔を背けている。


「……昔のことだよ。随分とな」

「でも、バッテリーという事は相棒でしょう? どうして今のような関係に……?」


 安里の問いかけに、榎田はぽつりぽつりと口を開いた。


「……なんてことはない、進む道が違ったって話だよ」

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