5-Ⅹ ~八木雄二の正体~

 四津門野球部は、地元でも名門と言われる野球部だった。かつては甲子園にも出場したことがあり、高い水準を誇っていたことは間違いない。

 八木雄二が四津門高校を志望したのは、今は実績が芳しくない四津門を自分が引っ張って変えたいと、本気で考えていたからだ。


 何しろ、彼が野球を始めるきっかけとなったのは、他でもない四津門が甲子園出場を決めた試合を見たからである。それは彼が5歳の時だから、今から12年前の事だった。あの試合を見て感動したときから、彼の野球人生は始まったのだ。


 だが、入学してすぐに向かった四津門高校野球部は、見るも無惨に変わり果てていた。


 全く手入れのされていないグラウンド、部室中に散らばるタバコや酒の空き缶、さらには部室で交わる男女。その女生徒も、恐怖で涙を目に浮かべており、自分を見るなり「助けて!」と叫んできたほどだ。


 そして慌てて助けを呼ぼうとした時、捕まって袋叩きに遭った。その時に利き腕を折られて全治3カ月の骨折。治った今でも、医者に「全力でボールを投げるのはダメだ」と口を酸っぱく言われている。


 後から聞いた話だが、四津門高校野球部は5年ほど前から不良の巣窟となってしまったらしい。ほとんど練習などせず遊んでばかりで、公式の試合も出場を辞退していた。これは顧問の教師が独断で行ったらしく、その後顧問は半殺しにされて学校を去っている。


 その後学校の理事によって公式戦への出場は一切認められず、さらに部員という名の不良たちはグレて……という、負の連鎖に陥っていたのだそうだ。

 あまりにも呆気なく、自分の野球人生は終わってしまった。まだ、始まってもいなかったのに。


 今の自分が野球に関われることと言ったら、小学生相手に軽くキャッチボールをしながら教えてあげることと、こうしてバッティングセンターで弟ののぼるのバッティングを見てやることくらいだ。

 昇も今年で6年生。ウォーカーズのレギュラーとして、チームを引っ張っている。グラウンドで楽しく野球をしている弟を見ていると、自分もあの頃に戻ったような気がした。

 30球ほど打ち終わったところで、昇が戻ってきた。


「兄ちゃん、どうだった?」

「ちょっとスイングがバットの重さに負けてるな。もうちょっと腕に筋肉つけないと」


 そう言って、力こぶを作る。筋トレだけは、今でも抜けない習慣だ。


「今度の試合、4番だろ? それまでに力つけないとな」

「うん!」

「喉、乾いたろ。なんか買ってくるよ、何飲みたい?」

「じゃあ、メロンソーダ!」


 はいはい、と言って八木は近くの自販機へと歩を進めた。バッティングセンターの入り口に面する自販機で、メロンソーダと自分用の缶コーヒーを買う。ガコン、という音とともに、入り口が開いた。視界の端で動いたものを、自然と八木は見やる。


「……あ、紅羽?」

「八木」


 そこにいたのは、紅羽蓮だった。しかも、金髪巨乳の女の子と一緒という。その光景に、八木はちょっと面食らう。


「か、彼女?」

「そうでーす」

「違えよ。さっきから馴れ馴れしいんだこいつ」


 蓮はすっかり慣れっこだが、普通の高校生はビチ校女子の格好は慣れようもない。 

 ちらちらと胸の谷間を凝視しつつ、それを悟られないように目を逸らす。


「……ど、どうしたんだ? こんなところに」

「お前が野球の助っ人頼むから、練習しに来たんだろーが」

「練習?」

「こいつがバッティング見てくれるってよ」


 親指で指されたカスミが、ピースサインで答える。

 何を言っているのかさっぱりわからずに、八木は首を傾げた。


**************


 爽快な音とともに、ピッチングマシンから放たれた球が打ち返される。マシンの上にある「ホームラン」の看板に見事命中すると、ファンファーレが鳴った。周りの人も驚いたようで、一同から拍手を受ける。


「お姉ちゃん、すげー!」

「へっへっへ、すごいでしょー」


 かっ飛ばしているのはカスミである。昇が目を輝かせながら、それを見つめていた。蓮と八木は、さらに後ろのベンチで二人のやり取りを眺めている。


「……すごいな、彼女。何者だ?」

「知らね。ビチ校の女だってことは間違いないけどな」

「ビチ校……ああ、菱潟高校か」

「うちのバカどものバカ騒ぎにつられて来たんだよ」

「バカ騒ぎ?」

「おう。……おっ」


 蓮のスマホの着信音が鳴る。見てみれば、学校に残っている葉金からだ。


『終わりました』

「おう。どうなった?」

『双方痛み分け、と言ったところです。今、救急車を呼んだところですよ』

「ふーん。ケガはどんなもんよ」

『……それが、その。大半は殴られて骨が折れたりした程度なんですが……』

「ん?」

『どうやらギャラリーの乱入者の中に、ナイフ持ちがいたようで。2名、腹を刺されました。浅草と高柳です』

「あいつ等かあ。大丈夫なのか? それ」

『幸い、命に別状はありません。ですが、しばらくはやんちゃできないでしょうね』

「……あっそう。分かった。サンキューな、見ててくれて」

『仕事ですから』


 スマホを切ると、蓮は八木の方を見やる。


「……悪いな」

「え、何が?」

「お前んとこの野球部。全員病院送りになっちまった」

「ええ!?」


 驚く八木に、蓮が事情を説明してやる。驚きの表情は、次第に納得の表情へと変わっていった。


「高柳が……刺された……」

「特にやべーのはそいつくらいだな。あとは普通に骨折られてるとかだってよ」

「普通じゃないだろ、それは……」


 蓮はすっかり鈍っているが、八木の感想が普通である。普通は骨折だって異常事態であることを忘れてはいけない。

 特に、八木にとって骨を折られるという事は、決して消えることのない苦々しい記憶であった。


「しっかし、こんなところにいるとはな。良かったのか? 試合出なくて」

「え?」

「いや、野球の試合だよ。サボってて正解だけどよ」


 蓮の発言に、八木は思わず噴き出した。


「あっはっはっはっはっはっはっは!」

「……なんだよ、変なこと言ったか?」

「いや、もしかして、俺が野球部に入っていると思ってた?」

「……違うのか?」

「野球部とウォーカーズのコーチが両立なんてするわけないよ!」


 ひとしきり笑うと、八木は「実はさ……」と過去を切り出す。ここではっきりしたのは、八木の腕の骨を折ったのが他でもない高柳だったという事だ。

 一通りの話を聞いた蓮は、がっくりとうなだれた。


「……悲しいもんだな。元は名門校だったってのによ」

「うん。だから、実は俺も助っ人と言いながらあんまり役に立たないんだ」


 二人を沈黙が包む。八木の事情を知った蓮は、どう言葉をかけていいやら分からなかった。


「……弟の昇はさ。今、ウォーカーズのレギュラーなんだ」

「おう」

「あいつには、不自由なく野球をやってほしいんだ。野球に関することで、辛い思いをしてほしくない、苦しんでほしくなんかない……!」


 八木の目には、涙が浮かんでいた。


「あいつのためにも、今度の試合は負けられないんだよ……!」


 大人の汚い事情で練習ができなくなるというのは、小学生のウォーカーズにはかなりショックが大きいだろう。そんな目には、どうしても遭ってほしくなかった。


「……頼むよ、紅羽」


 真剣な眼差しを向ける八木の視線を背中で受けながら、蓮はバットを持ってバッターボックスに入る。


 ピッチングマシンから放たれた球に向かってバットを振ると、聞いたことのないような音を立ててバッティングセンターのネットをぶち破った。


 ボールが遠い空の彼方に消えて見えなくなったところで、ようやく蓮は八木に向かって振り返る。


「……当てりゃホームラン、くらいは保証してやるよ」

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