5-Ⅻ ~2m越えの小学生~

 この時間なら、橋の下にいるだろう―――――――。そう言った榎田の言葉を頼りに、蓮たちは河川敷に来ていた。

 河川敷は結構な広さがあり、夏にはパリピのバーベキューや、家族連れのバーベキューが行われている。積極的に近づきたいかと言われればノーだ。

 そして、複数の橋が架かっているこの河川敷の橋の下は、絶好の日よけポイントであった。


 時刻は17時少し前。まだまだ日が落ちないこの時間帯のじりじりした暑さが、蓮は大嫌いだ。


「橋の下と言えば、絶好のカツアゲポイントですよね、蓮さん?」

「やったことねーよ、んなこと」

「あ、いた!」


 八木が指さした先の橋の下に、彼はいた。


 一人、橋の足に向かってボールを投げる少年が一人。ひたすらに投げたボールが跳ね返っては、彼の下へと戻っていく。蓮たちが遠巻きに見つけてから近づくまでの3分ほどの間も、少年はずっとそれを繰り返していた。


孝道たかみち!」


 八木の声に、孝道という名前らしい少年がこちらを見る。知り合いであるらしい八木の顔を検めると、すばやく頭を下げた。この頭を下げる速さは、野球部の少年らしさがある。


「八木先輩、どうしたんですか?」

「ちょっと話がある。……ああ、こちらは紅羽蓮さんと安里修一さん。俺の知り合いだ」


 紹介された蓮は孝道に近づいたが、そのちょっと前、彼に近づいた時から、蓮は違和感に気づいていた。


(……こ、コイツ、デカくねえか?)


 蓮の身長よりも、小学6年生の孝道は頭一つ大きかった。蓮がおおよそ170cmなので、彼は下手すれば2m近い身長という事になる。


「……第2次性徴というには、ちょっと進化しすぎですね?」


 安里の言葉に、孝道は俯いた。ちょっとコンプレックスなのかもしれない。


「……それで、お話って?」

「ああ、ウォーカーズの使ってるグラウンドの事なんだけど」


 八木は孝道に、グラウンドの使用権でウォークマンズともめていることを話した。こんなことを小学生に話す必要はない、と前に言っていたはずだが。


「この子は特別だ。何しろ、このガタイだから、公式戦には出られないんだよ」

「なんで? 別にデカくたっていいじゃん。むしろデカけりゃ強いんじゃねえの?」


 蓮はスポーツの事は詳しくは知らないが、デカいと有利であることくらい知っている。というか、運動事は何事も高身長が有利だ。……世はチビに厳しい。


「……そういうだけじゃないんだな。紅羽、ちょっと彼の球受けてみてくれよ」

「あん?」


 言われるがまま、蓮は橋の下の、足に持たれる形でしゃがむ。そしてグローブを前に構えて、球を受け入れる準備を取った。


「え、いいんですか? 危ないですよ」


 孝道は、困ったように安里たちを見やる。自分の球が危険だという事は、彼自身も自覚しているらしい。


「大丈夫大丈夫。この人、鉛玉も効かないですから」


 安里の言葉に八木がひきつったようにははは、と笑うが、これは比喩ではなく純然たる事実である。銃弾を食らっても「いてえ」くらいで済んでしまうのが紅羽蓮という生物なのだ。


「いいぞ、思いっきり来い」

「は、はあ……じゃあ、いきます!」


 孝道が大きく振りかぶって、蓮のグローブめがけてボールを放つ。


 その勢いは、周囲に土煙を巻き起こすほどだ。というか、近くにいる安里たちが発生した風にあおられる。


 弾丸のごとき球は、蓮のグローブに突き刺さった。グローブの中でも回転は止まず、グローブの生地を焼き切っていく。

 球が完全に止まった時には、弾は蓮の手のひらに届いていた。


「……おいおいおい」


 ぽつりとつぶやく蓮だったが、八木は目を見開いて二人を見つめている。


「え、ええええええええ……マジ?」


 そして、驚いていたのは八木だけではなかった。剛速球を放った孝道も、驚きの表情を隠せずにいる。


「……す、すげえええ! 今の球、結構本気で投げたのに!」


 そう言いながら、孝道は蓮の下へ駆け寄ってくる。身長2m弱がのっしのっしと近づいてくる様は、結構怖かった。


「どうでした?」

「んー、まあ、小学生が投げる球じゃねえよな。やっぱ身長がデカいからかな」


 そう言いながら、グローブを外す。きれいに穴が空いていた。買ったばかりの穴あきグローブに、蓮は「うへえ」と声を漏らす。


「しかしまあ、なんとなく理由は分かりましたね。こんな球、小学生にはそうそう捕れないでしょう」

「……ええ。そうなんです」


 庵田孝道の身長が大きく伸びたのは、小学6年に進級してほどなくの事だった。それはまではクラスでも前から数えた方が早いくらいの身長だったのだが、進級して1カ月ほどでクラスで一番大きくなった。いや、学年どころか大人を合わせても学内で一番大きい。


 急激な成長はピッチングにも大いに影響を与えた。まず、フォームが大きく崩れた。身体のバランスが急に変わってしまい、今までの投げ方では十分なコントロールで投げることができなくなってしまったのだ。

 加えて、パワー。これが一番大きいのだが、練習で投げた球が強すぎて、受け止めたキャッチャーがケガをしてしまった。

 それから、チームで孝道とキャッチボールをする者はいない。単純にボールを受け止められないこともあるが、急に大きくなった孝道を怖がっているから、というの理由だろう。


「つまりは、大人相手にこの孝道君が無双すればいいと」

「見てもらった通り、パワーは大人顔負けだからな。草野球のチーム相手なら、何とかなるはずだ」

「それはいいんですけど……誰が捕るんですか、あんな球」


 ピッチャーがいるという事は、キャッチャーだって当然必要になるわけで。あんな剛速球、受けられる奴はウォーカーズには存在しない。


「……現状で言うと、捕れるのは蓮さんくらいですかね?」


 安里はグローブを眺める蓮を見やった。彼くらいしかあの球を取れるものはいない。だが……。


「紅羽は助っ人だから、1イニングしか出られない」


 1イニングは表裏両方だからまだ攻守ともに参加はできるものの、孝道のピッチングも取れる蓮が出る1イニングのみになってしまう。

 せっかく孝道は6回すべてに参加できるのに、何とも歯がゆい。


「3人目を用意しても、その人があの球を捕れる人じゃないといけないしなあ」

「……とはいえ、使わない手はないですよね。いざというときのクローザーとしては最適解かと」


「そ、そうか! そうだよな!」


 安里の肯定に自信がついたのか、八木の目が輝く。


「これだけの球が投げられるんだ、いざというときに抑えてもらうにはもってこいだ!」

「……問題は、そのいざというときが試合中どれくらいあるかですがね」


 相手は大人のチーム。小学生がどこまでやれるか、わかったものではない。


「下手すれば、初回からコールドなんてことも、あるかもしれませんよ」

「そ、それはさすがにあの子たちを舐めすぎです! 結構筋はいいんですから」

「相手の戦力もわからないですからね、仮の話ですよ、仮の」


 そして、そこまで言ったところで。


「……ちょっと待てよ? ……それなら……」


 安里がぱっと、蓮の方を見やる。


「……何なら、こっちがやっちゃいましょうか、コールド勝ち」


 安里の発言を、その場にいる誰もが理解できない。


「……はい?」

「だから、初回で全戦力を投入するんですよ。それで、一気にコールド勝ちを狙うという作戦です」

「いや、でも……!」

「蓮さんを代打で出すことができれば、十分に勝ち目のある作戦だとは思いますがねえ」

「代打って……基本的に野球の代打は控えの選手に代わるものです! レギュラーに代わるなんて言語道断ですよ!」

「でもそれって、あくまで公式でしょう? そういう試合じゃないんですし、ちょっとくらいハウスルール入れてもいいじゃないですか」

「……ちなみに、その場合はどうするつもりです?」

「全打席蓮さんで、全打席ホームランです。10回やれば勝ちですよ」


 あまりにも荒唐無稽な内容に、八木はため息をついた。この安里という男も、やっぱり素人である。


「と、とにかく! 孝道はいざという時の登板で、その時のキャッチャーは紅羽! 俺と、もう一人の助っ人は状況に応じてってことで行きましょう」

「……どうします? 蓮さん」

「お前のアホな意見よりはそっちの方が堅実だろ」


 あわや10打席連続ホームランを強制されかけた蓮は、そう吐き捨てた。グローブを川に放り投げると、そのまま河川敷を登る。


「どちらへ?」

「作戦も決まったしもういいだろ。帰る」

「あ、待ってくださいよ蓮さん!」


 安里がそう言って、2人を置いて蓮たちは河川敷から立ち去った。

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