12-ⅩⅩⅩⅢ ~美味真保の真実~

「――――――なんで、私を……」

「貴方に何かあったら、オータムフェスに来てもらえなくなってしまいますからねえ」


 車で真保と娘の2人を送りながら、安里は笑っていた。彼が笑っているのはいつものことだが、それだけでなく、彼はちょっと笑うのをこらえている。

 その理由は、蓮の格好にあった。


「……おい、なんで俺はこんな格好なんだよ……!」

「しょうがないでしょ、今の貴方の体臭は、社長さんには劇物に等しいんですから」


 その格好とは、宇宙服である。狭い車の中で、どこからか安里が取り出した宇宙服に、蓮は押し込められていた。車が生臭くなるし、何より真保のゲロまみれになるのは嫌だったのだ。


「……申し訳ない。昔、生牡蠣にあたってから、どうも匂いが苦手で……」

「ええ、ええ。存じておりますよ」

「え?」

「それで、貴方はんですよね?」

「……松さん、ですか」


 真保の問いかけに、安里はにこりと頷いた。

 松から聞いた、真保の真実。かつて、彼が生牡蠣にあたってしまったのは、事前の調査で分かっていることではあった。

 だが、それが商店街嫌いにつながるとは、さすがに思いもよらなかった。


******


「――――――きっかけは、彼が子供のころ、小学生くらいの頃かな。当時のマサくんは、商店街にもよく遊びに来ていたよ。それに、昔の商店街は活気があったからね」


 事件が起こったのは、そんな商店街の、夏のイベントだった。


「よう、まっちゃん!」

「おお、かっちゃん! マサくんもいらっしゃい!」

「こんにちは、おじさん」


 松は真保の頭を撫でると、当時小学校低学年の真保はにこっとはにかんでいた。


「今日は炉端ろばた焼きをやっているんだ。いい牡蠣が入っているから、一緒に食べよう!」


 商店街のイベントは、新鮮な貝類をその場で網焼きにして食べる、炉端焼きのイベントだった。みんな、楽しく笑いながら、思い思いに貝を食している。


「それでなあ、貝の仕入が、なかなか上手く行かなくてなあ」

「そうかい。こっちも、懇意にしている取引先が、経営が苦しいってなってなあ。色々大変だよ」


 当時勝太郎も松も酒が入っており、注意力が散漫だったと言わざるを得ない。


「ねえ父さん、もう、貝食べていい?」

「ん? おおー、いいんじゃないか? ……この牡蠣とか、美味そうだぞ」


 勝太郎が酒気混じりにそう言い、真保が食べた牡蠣が――――――生焼けだったのだ。


******


「――――――それから私は丸3日、腹痛、下痢と嘔吐に苦しみました。何とか治まった後、親父は泣いて俺に謝っていました。ただ……私はそれ以来、生の食べ物は食べられなくなり、更に、食事中に会話をするだけでも、吐き気を催すようになってしまったんです」

「……それで、黙食主義か」


 以来、美味家の食事で楽しい会話は一切なくなってしまった。勝太郎は食事をしながらの団欒を好んでいたが、自らの不注意が招いた手前、真保の方針を止めることなどできはしなかった。やがて、この方針の違いは父子の軋轢を生むようになった。


「……会社員をやっていた時代、親父とはあんまり連絡を取っていませんでした。

そして、会社に戻ってデータを調べていた時に……」

「……米浦の粉飾に気が付いたわけですね」


 安里が地紋のPCをハッキングしてデータを吸い出しながら言う。このPCには、地紋が裏金として得ていた金の金額と受取先が、はっきり書かれていた。それを真保が持っていた、決算書類のデータと照合する。その数字は、ぴったり一致した。


「……ええ。キックバックで支払った分を計上しない形で、今まで決算をしていたことが分かったんです」


 なので、第一営業部の利益はもっと低いはずだった。それを言及しようにも、当時の第一営業部には社長勝太郎氏のお墨付きという名目があり、強く出ることができる者は、社内にはいなかったのだ。


「最後の手段として、俺は親父に掛け合いに行ったんです。――――――ちょうど、倒れる前でした」


 その際、強く指摘し、米浦含む第一営業部を断固糾弾すべきだと、真保は勝太郎に伝えた。が――――――。


「――――――俺の方針は、今も昔も変わらん」

「親父!? 何言ってるのかわかってるのか!? この金は間違いなく、反社に流れてる! それを見逃すなんて――――――」


 そこまで言い、真保ははっと気づいてしまったのだ。そもそも、米浦は勝太郎の腰巾着な男だ。こんな大それたことを、自分の意志でできるはずもない。


「……まさか、……!?」

「商店街の人たちには、悪いとは思ってる。だがな、第一営業部の面目を保つには、最低限、必要な事なんだよ」


 父との亀裂が完全なものになったのは、その時だ。それからほどなくして、勝太郎は倒れ、真保が会社を半ば乗っ取る形で代表取締役となったのだ。


******


「とにかく会社を守るために、商店街との取引をすべて取りやめることに決めました」

「そうすることで、会社とやくざの関係を断とうとしたわけですね。途中のパイプがなくなれば、関係も断ち切れると」

「米浦については、株主総会で追及するつもりです。あと、第一営業課を完全に解体する。今回の件がおおやけになれば、反対派も強くは言えないでしょうから」


 車の中でひとしきり話した真保は、ふう、と息を吐いた。生きているとはいえ、やくざにボコボコにされて打ち身擦り傷、一部骨折があるのだ。話をするだけでも、体力を消費する。


「……なるほどね。こりゃ、商店街との取引は難しそうですかね?」

「……松さんから聞いたということは、てくてくロード絡みですか」

「その通りです。まあ、オータムフェスについては、とにかく来てもらえればよいと

思ってますよ。……あ、そろそろ着きますね」

「着く?」


 朱部が運転していた車がたどり着いたのは――――――徒歩市立病院である。


「……病院? なんで……」

「いや、当たり前でしょ。あなた、けが人なんですからね。……蓮さん!」

「おう」


 病院は騒然となった。何せ宇宙服を着た男が、大ケガを負った真保を背負ってやってきたのだから。看護師に連れていかれる真保を見やりながら、蓮は大きなため息をついた。


「……これで、ひと段落か」

「ですねえ。あ、蓮さん。それと一つ言いたいことが」

「あん?」

「宇宙服、洗って返してくださいね。ぜったい生臭いから」

「こんなんどうやって洗濯するんだよ!」


 のちにネットで調べてみたが、「宇宙って水が貴重だからそもそも洗濯はしない」ということが分かっただけだった。


******


 美味よしみ勝太郎かつたろうの病室のドアを、ノックする音がした。「どうぞ」と勝太郎が応えると、美味真保とその娘のひよりがいた。


「真保、それに、ひよりも……」

「親父。やくざの地紋会だが……壊滅したよ」


 真保の言葉に勝太郎はじろりと彼を見やったが、やがて大きく息を吐いた。


「……そう、か。苦労をかけたな」

「謝るなら俺じゃない。……ひよりと、加藤美恵くんに謝ってくれ」

……? まさか!?」

「そうだよ」


 勝太郎が力を振り絞り、上体を起こす。だがひよりは、真保の後ろに隠れてしまった。祖父の目から、ぼろぼろと涙がこぼれる。


「……ひより……! ごめん、ごめんな……!」


 泣き伏せる父の姿に、真保はかつて自分が牡蠣に中った時の光景が重なった。症状に苦しみ寝込んでいた時も、この男はこんな風に泣いて謝っていたか……。


「――――――もう、何の遠慮もいらない。あくまで経営者として、商店街との取引は打ち切るつもりだよ」

「……そうか……」

「親父。会社は、俺に任せてくれ。アンタが作った美味フーズは、俺が守っていくから」

「真保……」


 勝太郎の手を、真保は強く握った。


「……だから、安心してくれ」


 久しぶりに、父の前で口角を上げた気がする。勝太郎は、息子の顔に涙を浮かべながら、静かにうんうんと頷いていた。

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