12-ⅩⅩⅤ ~逃走者N~

西筒シャーピン」にやってきた達人は、松の連れてきた達人の中でも、特に当たりの強い人物だった。それだけ、彼自身、辛い修業時代を過ごしてきたのである。一方で自分のラーメンが売れるのはその修行のおかげだと、彼は心の底から信じていた。


「――――――こんなもん食えるかっ!」


 達人はかつて師匠にされたように、西田の出したラーメンを、達人は床に叩きつけた。自分より年上の西田に修行で最初にやらせたのは、床の掃除である。

 それからは徹底的に、自分のラーメンを叩きこもうと、それはもう熱心に指導した。師匠譲りの熱さで、ついつい発破をかけるように腰を叩きながら。


「いいか、俺のラーメンを作れるようになれば、アンタは必ず売れる! だから、アンタの不味いラーメンは捨てろ! 黙ってついてこい! いいな!?」


 そう言い、5日間、自分の睡眠時間も削って西田のラーメン修行を行った。

 しかし、どうしても西田のラーメンの味は良くならなかった。何なら、日に日に、味の質は落ちている、と達人は感じていた。


「気合が足りないんじゃないのか! え!? オイ、なんか言ったらどうだ!」


 恫喝どうかつに近い距離で、詰めた。達人の身長は、西田より一回り大きかったのもあり、迫力があった。だが、西田の師匠は自分よりもさらに体格が大きい。師匠に比べれば、自分など可愛いもんだ。


 そうして、熱心な指導を続けていたら――――――。


「……とうとう、店から飛び出してっちゃった……」

「あったり前だろ!」


「西筒」の席に座ってキョトンとしている達人に、蓮は我慢できずにツッコんだ。

 要するに、とんでもないパワハラである。蓮だって、西田もなかなかこってり(ラーメン屋だけに)絞られる必要があると思ってはいたが、こんな目に遭うまでとはさすがに思ってない。


「……一体何やってるんだ、時間もないというのに!」

「い、いや。まさか、年上がいじけて逃げるとは……」

「年上だろうが年下だろうが、嫌なもんは嫌だろ!」


 仮に蓮がこんなパワハラを受けたとしたら、ブチ切れる自信がある。殺しはしないが、前歯の2、3本はへし折るだろう。そんでもって、二度とデカい口を叩けなくする。


「……はあ。とりあえず、俺はあのオッサンを探すから、準備しといてくれ」

「ああ、頼むね、蓮くん。人探しなら、君の方が得意だろうから……」

「おう。あとアンタ、ちゃんと謝れよ!? 悪いのアンタなんだからな」


 じろりと、蓮が達人を睨むと、達人もこくこくと頷いた。舌打ち混じりに店を出ると、蓮はダッシュで商店街をかけていく。その風圧に、近くにあった自転車がバタバタと倒れた。……しばらくして、蓮は自転車を直しに戻ってくると、再び、風を起こさないように駆け出した。


******


 西田の行きそうな場所はどこか――――――。取りあえず最初に思い当たったところに行ってみたら、いた。案外あっさり見つかり、蓮は拍子抜けとすら思う。いや、いいことなのだが。


「――――――おい! オッサン」

「あ、蓮くん……」


 西田は、少年野球のグラウンドの近くで体育座りをしていた。草野球チームも時々使わせてもらっている、すっかり馴染みの場所である。


「どうして、ここが……」

「んなもん、こっちが聞きてえよ」


 蓮は途中で買ってきた缶コーヒーを、西田に向かって放り投げる。慌ててキャッチした西田だったが、その缶コーヒーはホットだった。


「あつっ!」

「手間取らせやがって。……それで勘弁してやる」


 そう言いながら、蓮は西田の隣に、ドスンと尻を落とした。


「……え?」

「こちとら商店街から走って来たんだぞ。少しくらい休ませてくれよ」

「あ、ああ……」


 蓮と西田は揃って、缶コーヒーを空ける。口に運べば、苦いブラックコーヒーだ。だが、アイスコーヒーとは違い、ホットのブラックコーヒーは、香りがどこか美味に感じる。冬を迎えようとしている、こんな時期にはぴったりの味だった。


「達人から話、聞いたよ」

「……そっか。情けないだろ?」

「アンタがどうかはともかく、俺なら絶対アイツをシメる。調子乗ってんじゃねえぞコラ! ってな」

「結構怖いこと言うね!?」


 西田はそう言ったが、考えてみれば紅羽蓮という男は、綴編ヤンキーだ。お嬢様校である桜花院女子の娘と一緒につるんでいるからいくらか中和されていたが、本来ならばかなり凶悪、狂暴なはずである。むしろここまで普通に接することができる方が珍しい。


「……俺さあ、最初は、ラーメン屋なんてやるつもりはなかったんだよ」

「あん?」

「それこそ、野球選手になりたかったんだ。子供のころは」


 だが、挫折した。それも割と早い、中学校の頃だったか。あまりにも練習がきつすぎる、顧問との仲が悪く、殴り合いの喧嘩をする。終始不機嫌な顧問のせいで部の雰囲気は最悪に近い。そんな中、結果も出るわけがなく、結局中学校の地区予選を2回ほど勝った程度で、西田の野球人生は終わりを告げた。


「ラーメン屋もバイトして経験があったから、俺ならやれそうだと思ってさ。ちょうど15年くらい前に、この商店街に越してきて、空いたテナントでラーメン屋やらせてもらったんだ」

「へえ」

「最初は上手くいってた……と思う。若いから、みんな店に来てくれたし、商店街も活気があったから。でも、だんだんなじみの客が年を取って、ラーメンを食わなくなったんだな」


 それに加えて、商店街の隆盛も終わりに差し掛かり始めた。西田の素人上がりの味では、どうしてもそこが限界だった。

 色々と味を変えたり、研究したりと、努力はした。だが、それが実ることなく、ずるずると時間だけが過ぎていく。気づけば、ラーメンに対する情熱は、すっかり失われていた。彼の興味関心はどちらかと言えば、少年のころの情熱を取り戻した、草野球の事ばかりである。


「……でも、大人になるって、それだけじゃダメになっちゃうってことなんだよなあ。好きな事だけやってても、生きてはいけないんだ」


 西田は膝に力を入れると、のそりと立ち上がった。


「……何だよ、もういいのか?」

「大人だからね。あんまり引きずってもいられないからさ」

「だったら最初から逃げんなよ」

「……我慢してもいられなかったんだよ」


 蓮もすくっと立ち上がると、西田を少し押しながら歩き出した。


******


「……あの、その……」


「西筒」に戻って来た西田と、出迎えた達人だったが、その空気は極めて微妙であった。


「西田くん。その……彼には私からもよく言っておいたから」

「いえ。こちらこそ……逃げちゃいまして、すいません」


 松と西田も互いに思うところがあるのか、ぺこぺこと頭を下げている。その光景が、蓮には奇妙に見えた。達人も、先ほどの回想シーンのような過激さはどこへやら、腰が低くなっている。

 達人が、ちらちらと松を見やるのを見るに、蓮が不在の時に結構絞ったのかもしれない。


「……それで、どうにかなりそうなのか?」

「ああ、そうだな……ラーメンだけども……」

「……俺、教わりますよ。達人の味」


 西田の答えに、達人はパッと彼を見やった。


「西田さん、でも……」

「わかってます。自分のラーメンじゃ、通用しない。これからどうにかするにしても、まずは他の店の味を知らなきゃ。……こんな考えじゃ、ダメですかね?」

「い、いえ……!」


 西田と達人は、手を取り合う。どうやら達人の方も、何か教わることがあったよう

である。


「……やれやれ。危うかったな。早く見つかってよかった」

「ったく、手間かけさせやがって」


 蓮はぶつくさ言いながら、店にあった麦茶を一息に飲み干した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る