12-ⅩⅩⅥ ~美味真保への招待状~

「――――――そんなことがあったの。大変だったねえ」

「まったく、いい年こいて逃げんなっての。みっともねえ」

「駄目ですよ蓮さん。そーいう根性論みたいなものが、世に言うブラック企業の基盤を生むんですから」


 安里探偵事務所で文句をたれる蓮を、安里はたしなめる。ちょうど今しがた、商店街の視察を終えて事務所に戻って来たのだ。


「……「西筒」が上手いこと仕上がるかはともかく、他のところもまあ、オータムフェスまでにある程度仕上がりそうですかね? 先田さんからも、「更科」は好調で、価格設定などの相談も受けているそうですし」


 経営の話までやってんのか、あのじーさん。まあ、元社長だというし、どっちかと言えばそっちの方が専門な気もするが……。


「ともかく、商店街の方は「とりあえずオッケー」ってとこですか。で、肝心の社長さんを呼ぶというのは?」

「ああ、じーさんがやるって言ってたぞ」

「ま、それが妥当でしょうね」


 今回の件の関係者で、一番美味よしみ真保まさやすに近しいのは、他でもない彼だ。

 安里はコーヒーを啜りながら、ぼんやり窓の外を眺めた。


「―――――説得、上手く行くといいんですけどねえ」


******


 美味真保は、突然の呼び出しに少々の苛立ちを抱いていた。その苛立ちは、カツカツと病院に響く革靴の音が示している。そして彼が現在いる場所は、彼が現在最も来たくはないところであった。


 徒歩とある市立病院しりつびょういん徒歩とある市内で最も大きな病院であり、市内の大物と呼ばれる人物は大抵ここに入院する。それは、彼の父、美味よしみ勝太郎かつたろうも同じであった。


「……真保マサくんかね?」


 病院のロビーにて、待ち合わせをしていたので待っていると、自分を呼んだ老人に声をかけられる。真保はその男とは、家族ぐるみの付き合いだったのでよく知っていた。


「――――――ご無沙汰しています、松さん」

「いや、こんなところに呼び出してしまって申し訳ない。忙しかったろうに」

「ええ。何とか時間を作ってきました。……というより、秘書に無理やりねじ込まれましてね」

「……やはり、一度もお見舞いに来てはいないのか」

「そういう松さんはどうなんです。父は、元気でしたか」


 松が病院に来ている理由。現役を引退し、時間に余裕のあるこの老人は、親友である勝太郎の見舞いであった。そのついでに、話したいことがあるからと、真保をこの病院に呼んだのである。


「……かっちゃん、寂しがっていたよ? 一目会ってあげたらどうだい。だから、ここに来たんだろう?」

「私は父の会社を乗っ取った親不孝者です。どの面下げて見舞いに行けというのですか」

「それは……」


 松はその言葉を否定することができなかった。地域の商店街などを重視する勝太郎と利益を優先し、商店街を切り捨てようとしている真保。この2人が対立していたことは、彼も知っていたからだ。

 父子の対立は激しくなり、そんな中、勝太郎が病に倒れた。ここぞとばかりに、真保は会社の代表取締役となったのだ。乗っ取ったと言われてもおかしくない。


「……それでもだ。君は、お父さんに会うべきだよ。喧嘩でもなんでも、君と話せばかっちゃんだって元気になるさ」

「要件を早く、お伝えいただいてもよいですか。無理やりねじ込んだスケジュールなので、あまり時間が取れないんです」


 真保ははぐらかすように言う。松は閉口し、カバンからチラシを取り出した。


「……「てくてくロードオータムフェス」、ですか」

「このイベントで、飲食店組合が出店する。今、飲食店組合は生まれ変わろうとしているんだ。せめて……その姿勢だけは、見に来てほしい」

「……商店街との取引停止は、もう決めているんですが。それに……」


 松は同時に、カバンから封筒を取り出す。中に入っているのは、札束――――――ではなく、通帳と印鑑だった。


「中に500万ある。それで、見限らないでくれないか? 残りの金も、必ず払わせる。だから……」

「貴方がそこまですることじゃありません!」


 封筒を突き返すと同時、真保は松を突き飛ばした。


「うっ!」

「……お爺さん、大丈夫ですか!?」

「え、ええ。転んだだけですから」


 幸い、松は尻餅をついた程度で、大事はなかった。近くを歩いていた看護師が、慌てて助け起こす。


「あっ……」


 真保は病院の周囲の視線と、自分が突き出した手を交互に見やる。


「……失礼します!」


 唇を噛みしめ、そして慌てるように、病院から出て行ってしまう。

 病院の人たちが怪訝な目で見やる中、突き飛ばされた松だけが、憐憫れんびんの目をして彼の背中を見送っていた。


******


「――――――というわけでね。……いててて!」

「ジーさん大丈夫かよ。にしても、病院で無茶するよな、あの若社長も」


 病院から戻り、真保とのやり取りを伝えた松は、探偵事務所にて腰に湿布を貼ってもらっていた。貼っているのは夢依である。「貼りたい!」という、本人たっての希望だった。


「……無茶は松さんもですがねえ。そのお金、どうしたんです?」

「ああ。私の定期預金を解約したんだよ」

「そんな……そこまでするんですか?」

「商店街を維持していくのが、私の役目だからね……。若い君らには、わからないかもしれないが」

「……わかったとしても、貴方が身を削ることではないでしょう。せめて、飲食店組合からかき集めたとか、そう言えばまだわかりませんでしたよ?」

「……そうか。だが私は、嘘やハッタリが苦手でね」


 そう言っている間に、夢依が湿布を貼り終わる。松は夢依の頭を撫でて、お駄賃で千円を渡そうとするが、「甘やかさないでください」と安里にたしなめられた。


「……つーか、そんなんで、アイツは来るのか? 来なかったら終わりだぞ?」

「マサくんは来るよ。約束したら、必ず来る。そういう男だからね」

「……え? でも、「来る」なんて一言も言ってないですよ?」

「でも、オータムフェスのチラシは持って帰った。お金は突き返したのにだ。それは、彼がそれを検討する意味があると、判断してるからだろう」

「結構都合いい解釈なんじゃねえの、それ?」

「ま、そこは昔からの付き合いだからね。それに――――――」


 松は愛が用意したお茶を飲んで、一息入れる。


「打算もある。彼には、を克服してもらいたいんだ」

「商店街嫌い?」

「恐らく、商店街に対して、彼自身、苦手意識を持っている。それを、少しでも払拭してもらいたい。そうすれば、商店街との接し方も変わるんじゃないかと思ってね」

「……じゃあ、あの若社長が商店街との取引やめるってのは……!」


 ――――――単純に、商店街が嫌いだから、というのも理由なのか。経営面の理由もあれば、それはより強固なものになるだろう。


「しかし、何だってそんな、彼は商店街が嫌いなんです?」

「……それは……」


 ――――――松の話を聞いた蓮たちは、沈痛な表情になった。


「……うん、まあ……」

なら、仕方ないというか……」

「まあ、で商店街が嫌いになるのは、行き過ぎな気もしますけどねえ」


 真保の商店街嫌いの原因は、彼にとっては相当根深いものなのだろう。正直、蓮たちにとっては、「なんじゃそりゃ」くらいのものでしかなかったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る