12-ⅩⅥ ~動き出す探偵事務所~

「彼女の容体は?」

『意識不明の重体だそうです。頭を強く打ったらしくて』


 轢き逃げの事を安里に伝えると、アイツはすぐに運ばれた病院から手当の様子まで、事細かな情報を引き出してきた。


「――――――生きてはいるのか?」

『一応ですがね』

「……そうか。あとは事務所でな」


 そう言って通話を切ると、蓮はごろりと寝ころんだ。綴編高校の、屋上プレハブ小屋である。


「……轢き逃げ。しかも、蓮殿の縁者ですか?」

「そんな縁があるってわけでもねえ。ただ、助けただけだ」

「襲撃者と、同一の犯行でしょうかね」


 用務員の多々良たたら葉金はがねが、ふうむと首を傾げる。彼は蟲忍むしにんとして、妖怪がらみの事件には積極的に首を突っ込むが、こういった人間だけの関わる事件は門外漢だ。


「……だろうな」

「どうされるのですか?」

「別にどうもこうもねえだろ。俺は今回、ほとんど関係ねえんだ」

「しかし、一度助けた方でしょう?」


 葉金はいぶかしげな顔をするが、蓮はごろりとふて寝した。

 そんなことは、蓮自身分かっている。このままスルーするのも、寝覚めが悪いことも。――――――だが、いちいちそんなことで首を突っ込んでいたら、こっちの身がもたない。

あっちこっちと手が付けられなくなった時に、一番困るのは自分自身だ。


「……一度助けたから何だってんだよ。そういうのは警察の仕事だろ」

「それはそうですが」

「ああもう、早く仕事戻れよ。俺も勉強するから。あ、ついでにキューも呼んできてくれ。わかんねえところあるんだよ」


 蓮はしっしと葉金をプレハブ小屋から追い出す。そして数学の参考書を開くが――――――。


(……ちっとも頭に入んねえ……)


 覚えるべき三角関数の定理は、全く頭に入ってこなかった。


******


「……あの人、心配だよね」

「そうだな」


 事務所に着くなり、愛は心配そうな目で蓮を見やり迫ってきた。ぐいぐい来るもんだから、蓮は思わずのけぞってしまう。


「……治るよね?」

「そうだな」

「轢き逃げ犯、警察はちゃんと捕まえてくれるよね?」

「そうだな」

「もう、蓮さんったら! さっきから、「そうだな」ばっかり!」


 何かを求めてくるが、蓮には「そうだな」としか言えない。あくまでも蓮たちは一般人。こんな事件に、必要以上に首を突っ込む理由はない。

 一方で無謀に突っ込もうとする者がいれば、それは組織として否定しなければならない。だが、蓮にはいまいち、彼女の言葉をはっきり否定することはできなかった。


「まあまあ愛さん。ここは蓮さんの気持ちを汲んであげてくださいな」


 こんな状況でも笑顔な安里は、のんびりとコーヒーを飲んでいた。


「確かに理不尽ですし、助けてあげたい気持ちもある。でも僕らはあくまで一介の探偵です。正義のヒーローじゃないし、犯人逮捕は警察、治療は医者の仕事です。僕らの出る幕はないんですよ」

「……でも、安里さんが調べれば、すぐにわかるでしょ?」

「勿論。というか、もう調べてますし」

「調べてるんじゃないですか!」

「趣味ですよ、趣味。あくまで」


 安里はにこりと笑いながら、蓮をちらりと見やる。蓮は「けっ」と舌打ちして、応接用のソファに寝転んだ。


「たしかに僕が掴んだ情報を警察に流せば、事件は解決でしょう。ですが犯人が車をどこかへと破棄していたら? 警察は得体のしれない情報で犯人は捕まえられません。その分の人員や費用は? なんて、ね。諸々考えだすと、僕らの出る幕ではないですよ」

「でも……」


 愛はぐっと口を一文字に結ぶと、安里の顔をきっと見やった。睨むともまた違う、決意のような顔つきである。


「でも、じっとしてなんていられないですよ! 確かに、昨日会っただけで、私たちはほとんど関係ないですけど……! 少しでも縁ができたのに、何もできないなんて、そんなの悔しいです!」


 その言葉に、蓮と安里は互いに顔を見合わせた。安里が、「やれやれ」と肩をすくめる動作をする。


(まーた変に誘導しやがったな、コイツは……)


 蓮はそうアタリをつけ、目を細める。相変わらず、食えない奴だ。


「……そんじゃ、できることをしましょうか?」

「え?」


 合点がいっていない愛に、安里はにこりと笑う。いつも通りの、邪悪な笑みだ。


「――――――加藤さんに安心してもらえるように、してあげようじゃありませんか」

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