5-ⅩⅧ 〜庵田孝道の正体〜
「――――へっくしょん!」
「……うわ、汚ねえな、鼻水出てんぞ」
元々鼻水なんて出ないくせに、どうしてそんなところまでリアルに再現するのか。蓮には安里の思考は分からんちんである。
「いや、誰か噂話でもしてるんですかね」
「お前、殺人計画とか立てられてそうだもんな」
「否定はしませんけど。ところで、ダメだったんですね? 例のカスミさんは」
「おう。用事があるって、きっぱりな」
事務所で話していた蓮達だったが、そこに愛が入ってきた。
「おはようございま―……」
「蓮さん、振られちゃいましたねえ」
ぴたりと。ドアを開けた姿勢のまま、愛は固まっていた。
「ん? あ、愛さん。おはようございます」
「お、おはようございます……」
「おう。あ、昨日はスマホサンキューな」
「あ、いや、うん。いいけど……」
そのまま、すごすごと自分の席へと座る。黙ったまま、カバンに入っていたおやつをパクパクと食べ始めた。
「……何だ? あいつ、どうかしたのか?」
「調べます?」
「せんでいい」
手を黒く変色させて笑う安里の額を、蓮はぺしんと叩いた。
「まあ、助っ人は振られちゃいましたけど、蓮さんの野球のコーチはやってくれるんでしょ?」
えふっ、と咽る音がしたので振り向くと、愛が自分の胸を叩きながら必死にお茶を飲んでいる。どうやら食べていたおやつが変なところに入ったらしい。
「いや、それがさっきライン来てよ。「忙しくなっちゃって会えそうにない」ってよ」
蓮はスマホ画面の、謝る顔文字が一緒に書かれたメッセージを安里に見せる。
「ふむ……そうですか。マジでどうしましょうね」
「そうなんだよなあ。このままじゃどうにもヤバそうだぞ」
「ヤバいと言えば。例の怪物くん。ちょっと調べましたよ」
「怪物くん? ……ああ、庵田だっけ」
昨日会った怪物ピッチャー、庵田孝道についてまとめた資料を、安里は手早く机に広げる。
「仕事はえーな。プロみたいだ」
「……あのね、ここプロの探偵事務所ですよ?」
むしろこういうのが本業のはずなのだが、そう言う仕事が来ないせいで時たま自分が探偵事務所にいることを忘れそうになる紅羽蓮である。
「……で、その結果なんですが。ちょっと見てくださいよ」
ペラ紙数枚の報告書を、蓮はしげしげと眺める。
家族構成。現在母と二人暮らし。父とは離婚し、別居している。そして、離婚する前の旧姓は「橋本」らしい。
「離婚?」
「父親の名前は
「……いかにも、「離婚なんてしなさそう」って言わせたさそうな話だな」
「離婚の理由は何なんですか?」
おやつを食べ終わった愛が、話に入ってきた。無意識に蓮の隣に座る。
「愛さんの、そう言うリアクションが嬉しいですよね。蓮さんは、ひねくれちゃってもうね」
「うるせえな。で、離婚の理由は? どうせわかってんだろ」
「そりゃもちろん。ほら、コレです」
安里が新たに見せてきたのは、新聞の切り抜きだ。そこには、「悪の組織『パンクロッカーズ』一斉検挙!」とある。大きさ的に、新聞の第3社会あたりのだろう。つまりは大見出しになるようなニュースではないという事だ。その日付は、15年も前である。
「随分と前だな。ホントどっから引っ張ってくるんだよこんなの」
「これが、何か関係あるんですか?」
「ええ。実は、この摘発事件、内部告発だったそうなんです。告発した構成員の名前は……H氏」
「H……え、まさか、「橋本」!?」
愛のリアクションに、安里はにっこにこである。蓮は頬杖を突きながら新聞記事を眺めていた。
「それで、結局コイツは何なんだよ?」
「蓮さんだって察しが付くでしょう? 元・悪の組織の構成員で、子供があの体格ですよ? そこから考えられること、なんかないです?」
腕を組み、少し考える。その答えは、案外すんなりと出てきた。
「……まさか、コイツ怪人なのか?」
蓮の出した結論に、愛は青ざめた。安里は笑みを絶やさずに、資料を指でなぞる。
「そういう事ですね。お父さんのことを調べるために、園当商事の会社のシステムを調べたんですが、そう言うことは織り込み済みで入社しているようです」
これは、推理ですがね。と、安里が付け加えた。
「……この園当商事って、警察の幹部とパイプがあるみたいなんですよね。もしかしたら、橋本は自分の組織を売る見返りにこの会社に入社したのかもしれません」
「……司法取引的な奴ってことですか?」
「この組織が当時警察にもマークされていたとしたら、可能性もなくはないかと。でも、問題はそこじゃありません」
「……そんな奴のガキってことは、そいつも怪人ってことだろ?」
母親の方は知らないが、父親が怪人だというのなら、あの不自然な成長もあり得ない話ではない。元々怪人とは人間をベースとして、様々な要因から変質したものだ。まだ確定ではないにしろ、怪人が子供を産んだ場合、その成長スピードはどうなるのか。それは、人間の通常の成長よりも早まってもおかしくない。
「……あの成長は、二次性徴ならぬ「怪人性徴」なのかもしれないですね。それまでは普通の子供と変わらないそうだったので」
「……それって……」
「どういう経緯で彼が生まれたのかはわかりませんがね。ちなみに離婚したのは彼が生まれてすぐの事です」
一体、孝道の父と母の間で何があったのか。分からないことは尽きないが、ともかく核心は理解できた。孝道が、怪人と人間のハーフであり、怪人として現在進行形で成長しているという事だ。
「そりゃ、試合なんて出られるわけねえよなあ」
「おそらく蓮さんにボール投げた時も、あくまで人間としての本気でしょうね。だから、結構本気なんて言い方になったんでしょう。勘ですが、おそらく怪人態もすでに発現しているかもしれません」
「そ、そんな子が試合に出て大丈夫なんですか?」
「相手が大人ですからね。怪人とはいえ子供です。それこそ大人と同じくらいでしょう。むしろ力量的にちょうどよいかと」
安里の言い方だと特に問題ないように思えるが、彼の言う大人とは「大人のプロ野球で活躍する超上澄みの選手と同じくらい」という意味だ。蓮は首を横に振る。
「あほなこと言うなよ。アイツの本気の球、本当に俺くらいじゃねえと捕れねえぞ?」
「そうなんですよねえ。例の助っ人がダメとなると……」
「あ、例の菱潟の人ですか?」
そう聞く愛の反応は、ちょっとわざとらしいものだった。それに気づいているのは、言った本人を含めても安里修一だけである。
「おう、今日野球の練習に付き合ってもらってよ。助っ人もできねえか頼んだんだけど忙しいって断れちまってな」
「あ、そうなんだ……」
どうやら、昨日見たメッセージの内容はそう言う事だったらしい。そう思った途端、愛の胸の内がふっと軽くなった。
「なんだ、野球の話かぁ……」
「それ以外に何があるんだよ」
「……ううん? 別に」
蓮はどうやら全く気付いていなかったらしい、というかそりゃそうだ。自分が勝手にスマホを見て勝手に動揺していただけなのだから。
(はあーーーーーーーーーーー……私、恥ずかしい……!)
赤くなる顔を、蓮に見えないように手で隠す。
「ともかくですよ。そのあたりを踏まえて、彼が試合に出られること、後は彼のピッチングに対応できるキャッチャーを用意すること。これができれば、勝ちはぐっと近づくはずです」
「というかむしろ、俺らいらねえんじゃねえの? アイツが投げられるんなら」
「そこは、まあ、攻撃の切り札という事で」
ともかく、方針は決まった。何とかして孝道を試合に出せるようにすればいいのだ。怪人の息子、という点がネックになるが、そこを何とかあの監督を説得して試合に出してもらう必要がある。
「というわけです。やるべきことは、まず監督への交渉ですね。捕手については、おいおい考えましょう」
「……おい、安里」
颯爽と立ち上がり、事務所を出ようとする安里を、座ったままの蓮が引き止める。
「何です?」
「なんでお前がそんなノリノリなんだよ? 手貸せって言ったのはこっちだけどよ、なんか変だぞお前?」
「……単純に、スポーツって青春っぽくていいなって思うだけですよ」
そう言ってほほ笑むと、安里は事務所から出て行った。
「……胡散臭え」
「何企んでるんだろうね。今回は」
蓮と愛も二人そろって、事務所を出て行く。
一人残された
『業務に関係のない外出のため、減給』
それと同時に、6ケタ台の数字が、みるみる減っていく。
安里探偵事務所の給与明細は、減額式なのだ。
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