3-ⅩⅨ ~村田少年の追想~

 駐車場に戻ると、どうやら紅羽蓮は回復したらしい。すさまじい怒気で、駐車場は充満していた。

 半分破壊されたボーグマンとケガを負っている多々良葉金が寝かされており、その横に朱部純が座っている。


「どうもどうも、蓮さん」


 車から出た安里の顔面に、音速で拳がめり込んだ。躱すこともできず、安里は吹き飛ばされる。遮るもののない駐車場の、果てまで安里は飛んでいき、倒れた。


「……ガキは見つかったのか」

「う、うん」


 蓮が車の中を見やり、眠っている夢依の姿を検める。ひとまずは、これで問題解決だ。


「……帰るか」

「え、安里さんは?」

「ほっとけよ、どうせ死んじゃいねえだろうし」


 蓮は葉金を背負うと、そのまま先田の車へと乗り込む。夢依が乗ったことで定員はオーバーしているが、後ろで愛の膝に乗せることで事なきを得た。


「じゃあ、私たち、先に戻ってますね?」


 朱部にそうとだけ言い、愛たちの乗る車は遊園地の駐車場から出て行った。


 安里は雨に打たれながらしばらく倒れたままだったが、やがてむくりと起き上がる。


 だが、その首は今にももげそうであり、少し歩いた時点で、やはりもげて落ちた。


「……あーあ、怖いなあ。切り離してなきゃ死んでましたよ、僕」


 もげた部分から、新しい安里修一の首が生える。先ほど落ちた頭は、黒いチリとなって消えていった。ああなってしまったら、あの中にいる安里修一は「死んでいる」。


「まあ、それだけ迷惑かけたし、当然でしょうね」

「しばらくは頭が上がりませんねえ」


 そんなことを言いながら、安里は半壊したボーグマンを持ち上げた。壊れているとはいえ、機械を持ち上げるのは安里にとっては重労働だ。


「……しかし、愛さんが真っ先に来るとは思いませんでしたよ。せいぜい、蓮さんが無理矢理あなた方を倒してくるかと」

「紅羽くん、シュールストレミングが相当効くみたいよ。さっきまで、本当に立つのもやっとだったし」

「でも、あくまで足止めにしかならないんですよね」


 とはいえ、これは大きな収穫だろう。この情報をカーネルやタナトスあたりに伝えれば、スウェーデンの経済が大いに潤うことは間違いなしだ。


 とはいえ、完全に殺せるものでもないので、注意が必要ではあるが。


「いざという時には使えるかもですね」

「というか、あんな臭いもの使うの、私も嫌なんだけど」

「おや。朱部さんも嫌でした? あの匂い」

「普通に嫌よ。我慢したけど」


 彼女のポーカーフェイスは何も感じていないわけじゃない。臭いものは臭いし、うるさいものはうるさい。それを単純に表に出さないだけなのだ。


「それより、おじいさんはどうしたの?」

「ええ。初孫の顔も見れたし、申し分ないでしょう」

「あなたの心境は?」


 安里は笑うが、その答えは返さない。ボーグマンをトランクに押し込むと、自分も後部座席に乗り込んだ。


 朱部は溜め息をつくと、運転席に乗りこむ。


 車が動き出すと、安里は随分と久しぶりに、眠気を感じた。


 目を閉じて車体の揺れに身をゆだねると、うとうとと眠りについた。


***************


 夢を、見ていた。すべてが主観的だが、同時に客観的。本来なら自我も芽生えておらず、知覚すらできていない頃の、記録だ。


 気が付いた時は暗闇で何も見えない。匂いすらないが、どうやら水の中に潜っているようだ。そして、やけに狭いところにいることだけがわかった。


「そうか。わしの子を孕んだか」


 暗闇の中、しゃがれた男の声がする。自分を覆う壁から響いてくる声は、ひどく不快だった。


 それから男の声は、やけに機嫌よくまくしたてていた。やれ、自分の後継だの、お前を自分の本妻とするだの、やかましいほどである。さらには、自分を力強く押してくるのだ。全く嫌になる。


 対して、優しく自分を撫でる手があることもわかっていた。その手が壁伝いに触れる感触は、とても安心感があり、心地よいものだった。


 それから、どれほどの時間がたったろうか。どんどん壁は狭くなり、やがて自分を追い出そうと激しくうごめく。ただでさえ狭いのに、さらに狭い道を無理やり押し広げて通らなければならなかった。その苦しさは想像を絶する。強い光に目が眩み、今までできなかった息を思い切りしようと口を開けると、声が出た。


 叫ぶ自分を誰かが持ち上げ、へその緒を切る。その時初めて、汗まみれで涙を流しながらこちらを見る女の顔を見た。


 自分を抱きかかえる何者かが、すぐにその女へと自分を渡す。彼女は泣きながら、その顔をこちらの顔へと寄せてきた。


 そして、布にくるまれた自分がベッドに運ばれると、遠目に自分を見ている女がいた。年老いた、醜く、けばけばしい女だ。


「……あれが、例の子ってわけね」

「はい」

「――――――まあ、あの人が言うなら、いいでしょう」

「では……」

「あれは、今日から私の子です」


 反吐が出そうだった。あんな女の子供に、どうして自分がならなければならないのか。その理由は、他でもない、自分を産んだ女にある。


「あんな妾の子なんて、不本意ですけど」


 それを言うなら、彼女が妾になったことだって不本意だ。手を出してきたのはあのジジイではないか。


17年前、安里修一はムラタ・コンツェルン総裁、村田剛三むらたごうぞうの妾の子として生まれた。妾の女の名前は、安里朝美あさとあさみ。当時18歳で、剛三の家の家政婦見習いとして働き始めたばかりだった。


 村田剛三は、当時で齢70を過ぎていたというのに、跡取りとなる者がいないことを嘆いていた。そして、とうとう20歳年下の妻、鶴子との間にできた娘、棗の夫を後継とすることを決めたばかりの時期である。一人娘の棗は、まだ高校受験を控えているころだ。


 棗に愛情がなかったわけではない。だが、彼の愛は燃えやすく、冷めやすかった。だが、決して燃え尽きることはなく、常に弱くとも燃え続ける。そういう男だった。


 朝美に手を出した理由も、大した理由ではない。元々、若い女に一度はそう言うことをすることは、誰しもわかっていた。それこそ、妻の鶴子ですらそうして手籠めにしたのだ。あとは金の力にものを言わせ、無理やりに産ませるか、堕ろさせるか。それを決めるのは、すべて剛三の意思一つであった。


 過去の女たちは、鶴子の意思により流産を余儀なくされた。だが、今回の修一ばかりは逃すまいと、剛三は押し切った。そして、とうとう70歳にして念願の男の子が生まれたのである。


「修一はワシの後継とする」


 剛三の意思により、修一は剛三の後継者として、ムラタ・コンツェルンの次期総裁としての高等教育を受けることになった。


 生まれてからわずか3年で、超高等教育を受ける。彼と、彼の側近となるべく選ばれた才能ある子どもたちのための、帝王学をはじめとした教育だ。


「……もう、着いて行けません……!」


 一人の子供が泣きながら、教師にそう言った。教育に耐えられなかったこともあるが、何よりも修一のせいで加速することに耐えられなかった。


「……もう、教えることはできません……!」


 最初の教師は、修一を教え始めてからわずか1カ月でそう言った。修一の教育を続ければ、一生遊べるほどの金が手に入るというのに、それを諦めるほど、彼は追い詰められた。


「ある授業で、修一坊ちゃんは手を上げました。質問があるということで。嫌な予感がしました。彼は、私の講義の内容をすべて理解していた。そのうえで、あと半年後に教えようとしていたことの、間違いを指摘してきたんです」


 それも、何一つ言い返すことができなかったという。そこで、自分が彼に物を教えることなどできはしないと、悟ったのだそうだ。


 その教師は、最後はかなりやつれて、フラフラと屋敷から出て行った。


 それを、先田龍之介は唖然として見送ったことを、彼は鮮明に覚えている。

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