3-ⅩⅩ ~先田龍之介の記憶~

 先田さきた龍之介りゅうのすけがムラタ・コンツェルンに入社したのは、彼が大学を卒業したのちのことだ。某国立大を卒業した彼は念願叶って大企業に入社する。それもこれも、貧しい実家に仕送りをしてやるためだった。


 貧しいながらも腐らずに勉強させてもらい、あまつさえ大学にも行かせてもらった両親には、晩年くらい楽してもらいたかった。そのために必死で働いたのだ。


 利益のため、食っていくため。先田は昼も夜も駆けずり回った。ちょうどこのころ、オイルショックにより高度経済成長に暗雲が立ち込めた時期である。いつ、ムラタも傾くかわからない。遮二無二に、先田は働いた。


 そんな風に働き続けて、やがて先田は贔屓にしてもらっていた役員の紹介で、総裁である村田剛三と対面した。当時先田は40歳、剛三は57歳の頃である。

 入社時は子会社の社長と面接はしたものの、総裁を直接会うのは初めてだ。かなり緊張したが、剛三に気に入られて、彼の立ち上げる新しいプロジェクトを担当させてもらうことになった。


「期待しているぞ、先田」


 彼に肩を叩かれたときは、まるで尻に火が付いたようだった。先田は必死にそのプロジェクトを成功させようと努力し、そして成功へと至った。剛三の信頼も得て、次期幹部としてのポストは盤石だろうと思っていた。


 現に、ムラタ・アミューズメントの会社設立と、その社長として自分が抜擢された時は、この世の春であった。


 だが、修一が生まれたことですべては変わってしまった。


 それまでのアミューズメント競合社の買収、ノウハウの蓄積をするより早く、修一の誕生祝の遊園地を建てる計画を提案するよう迫られた。


 それも、企画発案から3年で完了せよとのお達しだった。ゼロからの、土台も何もない状態で実現は不可能だった。何しろ、設立予定地も何も決まっていなかったのだ。


 魂胆は分かっていた。剛三は修一とともに遊び、良い父親であることを世間にアピールしたいのだ。それと同時に修一を世間の目に晒し、次期総裁であるという印象を世間に植え付ける。

 その一度の遊びのために、大枚をはたいたプロジェクトを押し付けてきたのである。


「期待しているぞ、先田」


 そう言う剛三の目には、先田は映っていなかった。遠い未来、修一を抱きかかえてマスコミに笑顔を振りまく自分の姿が、先田の眼球を通して彼には見えていたのだろう。


 結果、先田は尽力はしたものの、ムラタ・ドリームワールドの設立には5年の歳月を要した。


 表向きのイベントで剛三は満面の笑みを浮かべていたものの、先田への信頼は消え失せた。結果、彼は社長の座を解任せざるを得なくなった。


 そして、最終的には村田修一の運転手という仕事に落ち着いたのである。

 当時、修一は4、5歳であった。そんな彼のご機嫌を取りながら、自分は仕事をしなければならない。なんという屈辱か。


 最初こそ、そう思っていた。


 異様に大人びている、その少年を見るまでは。


「―――――――どうも」


 彼の瞳は、父とは違う意味で先田を見ていなかった。


 まず、修一はほとんど、先田と口を利くことがなかった。淡々と、目の前の課題を解いていくだけの日々。


 おおよそ、今のぺらぺらと喋る安里修一とは、似ても似つかないほどおとなしい子供であったのだ。表情も笑顔どころか、変わるところさえほとんど見たことがない。


(――――――この子は、本当に人間なんだろうか?)


 先田は、送迎中の安里を見るたびにそう思わざるを得なかった。それは、修一が怪物じみた頭脳を持っていたから、と言うのもあったかもしれない。

 先田が修一の運転手になったのは、彼が6歳になる手前だったが、すでに同年代どころか、大学卒業を想定した教育プログラムすら、修一には着いていけなかった。一方で身体能力は年相応よりも少し弱い程度で、人間味を感じるとしたらそれくらいだ。


 修一は、先田に心を開いていなかったのだ。


 彼は村田剛三の後継者として生きていたが、剛三の本妻鶴子には大層疎まれていた。妾の子で、自分がどうやっても産めなかった男の子で、しかも天才となれば、面白くないことこの上ないだろう。

 彼は屋敷の離れに隔離されるように暮らしていた。鶴子はもちろん、父の剛三と顔を合わせることすらほとんどないのだ。


 そんな修一の世話をしていたのは、一人のメイドだった。


「朝美さん、修一坊ちゃんをお連れいたしました」


 送迎を終えて、屋敷の扉を叩くと、彼女はいつも笑顔で出迎えてくれる。その笑顔は、今でも忘れることはない。


「ああ、先田さん。ご苦労様です」


 ムラタ・コンツェルンの上位層の人物なら、誰でも知っている。


 村田剛三の手籠めにされ、鶴子に母を名乗ることを禁じられた女。


 安里朝美が、修一が唯一心を開ける人物であったのだと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る