3-ⅩⅧ ~行方不明事件、解決~

 生きていて、いいことなど、あれから一つもなかった。

 父は自殺し、母はやつれ、家族はばらばらになった。


 そのすべてのきっかけは、この男。


 あろうことか、実の姉を破滅させた男。


「……安里、修一……!」

「お、思い出したみたいですね」


 つかみかかろうと伸ばした夢依の手は、安里の首を捕らえた。8歳ながら、本気の殺意が彼の首を絞め上げる。


 だが、仮面をかぶった安里は、大して堪えてもいないようだった。


「いやあ、しかし自分でここまで来るとは思いませんでしたよ。存外、逞しく育ったもんですね」


 そうして立ち上がると、身長差から夢依の手は自然と離れた。


「~~~~~~~~~~!」


 夢依は精一杯の力で、安里に体当たりする。だが、安里には全く堪えていない。


「もっとちゃんと食べないとダメですよ。多分あなた、同年代の平均よりも軽いでしょ」


 簡単に引きはがされると、夢依はとうとう睨むしかなくなる。


「……情熱的ですね、照れちゃうな」


 安里は老人―――――夢依の祖父であり、安里の父である男に触れる。


「……ま、そう言うわけで。残っているのは、もうあなただけなんですよ」


 安里は父の口を乳から無理やり離すと、顔を寄せる。


「あなたが死ねば、村田家の一族は本当におしまいです」

「うう、うううううううううううううう……!」


 細くなった老人の首は、安里でも簡単にへし折ることができるだろう。安里はもう片方の手で、老人の首を優しく絞める。


「………こっ!」


「や、やめ……」


 やめて、と叫びたいのに、夢依は言葉を発することができなかった。


 安里は、老人の首をじわじわと締め上げる。


 やがて、老人の眼球が、ぐるりと上を向き、口からは泡を吹き始めた。


「……旦那様!」


 突然の声に、安里は手を離した。老人が床に倒れ、ぴくぴくと痙攣している。


「安里さん!」


 愛が安里を押し飛ばし、老人との距離を取る。そして、愛は立ち尽くしている夢依に向き直った。


「……夢依ちゃん……! やっと見つけた……!」


 愛は夢依を抱きしめた。久しく感じていなかった抱きしめられる感触に、夢依は動揺を隠せない。


「……だ、誰?」

「あなたを探してたの。施設の人たち、心配してるのよ?」

 がっちり自分を抱きしめる愛の背中に、夢依もおずおずながら手を回した。


 一方の先田は、安里と老人の間に、割って入っている。


「旦那様! 旦那様!」


 先田は老人を抱えて叫ぶが、老人はぴくりとも動かない。その目はもう、薄い瞼を開く力すら残っていないようだった。


 目を伏せる先田は、次に老人が乳を吸っていた女の機械に目を向ける。その顔に、先田は目を見開いた。


「……あ、ああ…………!」

「……店長さん」


 夢依を抱きしめたまま、愛が先田を呼んだ。


「……な、何でしょうか?」

「ちょっと、この子をお願いします。疲れて気持ちも切れちゃったみたいで、寝ちゃったんです」


 そう言い、愛は眠った夢依を先田に預ける。


「……あの、あなたは……?」

「ちょっと、お話したいので」


 そう言い、愛は安里の方を向いた。安里と言えば、仮面をかぶったまま胡坐をかいている。

 先田としても言いたいことは山ほどあったが、愛の目を見て首を横に振った。


「……わかりました。車で待っています」


 そう言い、先田と夢依は家から出て行った。


「……田舎から帰ってきた時も思っていましたが。あなた、随分と雰囲気が変わりましたね」


 先田がいなくなり、ようやく安里が口を開く。


 そんな安里を、愛は睨んだ。思わずひるんでしまうほど、鋭い眼光である。まるで彼女ではないような。


「……全部、あなたの手のひらの上だったんですか」

「いえいえ。まさか、夢依が一人で来るとは思っていなかった」


 まあ、それまではおおむね想定通りですけど。安里はそう付け加える。


「全部知ってたんですね。夢依ちゃんが行方不明になったことも、ギザナリアさんっていう悪の組織の人の所に泊まっていたのも」

「何しろ本人から連絡が来ましたからね。それに、この遊園地のことは隠していたので、聞いてくるとしたら村田に関連する人物しかいませんし」


 愛は安里の隣に座った。安里は観念したように、顔に着けていた仮面を外す。いつもの見慣れた笑顔が、そこにはあった。だが、その笑顔はどこか楽しさに欠けている。


 愛が、そっと老人の首筋に手を差し伸べた。首の脈をそっとはかり、目を伏せる。


「……死んでる」

「元々老い先短かったですからね。老衰で大往生ですよ」


 あっけらかんと、先ほどまで首を絞めていた男が言った。


 だが、愛はそんなことを気にした様子はない。伏せていた眼を、そっと開けて虚空を見つめる。


「……ダメですね、もう、未練すら持ててない」

「おや、どういうことですか?」

「……安里さん、わかってるでしょ? それくらい、あなたはこのおじいさんを追い詰めたってことですよ」


 愛はこの時「霊視」をしていた。もし、老人の魂が幽霊と化すなら、彼女はそれを認識できる。

 だが、老人の魂は幽体になることなく、消えていった。魂が消えるのは、成仏したか、あるいは未練すら知覚できずに死んだときのみだ。

 つまりは、この老人は耄碌していたのである。


「……驚いた。そんなシャーマンじみたことまでできるようになっていたとは」

「必要になったから、必死で覚えてるんです」

「……僕としては、普通の女の子を採用したつもりだったんですがねえ」

「私なんてまだまだ普通ですよ。皆さんに比べれば」


 どこがですか。安里は内心でツッコんだ。口に出したら、何されるかわからない。

 そう思わせるほどの気迫が、今の立花愛にはある。


「……あなたのお父さんの魂は、完全に消えました」

「そうですか」

「ええ」


 そして、愛は銀色の機械の女を見やる。先ほど先田が驚いていた理由は、彼女にはわかっていた。


「……これを造ったの、安里さんですよね」

「ええ。そうですけど」

「この造形……モデルはいるんですか?」

「いいえ、テキトーですよ」

「嘘ですね」


 愛は、ぴしゃりと言い切った。


「この人は、モデルがいるはずです。そうじゃなきゃ、この顔にはならない」


 この顔の女性の正体。


 それは。


「安里さん。――――――あなたの、お母さんですよね」


 安里の笑みに、ゆがみが生じる。


「……シャーマンって、僕の「同化」みたいなこともできるんですか?」

「まさか。先田さんに写真見せてもらったんですよ」


 ああ、そういうことか。安里はほっとした。心まで読めるようになられたら、探偵をしている自分の面目が立たない。


「どうして、わざわざお母さんそっくりのロボを……?」

「……親孝行ですよ。最後のね」


 そして、嫌がらせでもある。あの老人にとって、この最期は救いであり、地獄であった。


「……そうですか」

「そろそろ帰りましょう。きっと、蓮さんはカンカンですし怖いですが」


 安里はそう言い立ち上がると、さっさと車へ向かってしまった。


 愛も立ち上がると、最後にもう一度、老人を見やる。


 老人の亡骸を、銀色の女機械が抱きしめていた。


 愛は彼らに両手を合わせ、そのまま車へと戻った。

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