3-ⅩⅦ ~父の末路~

「これから、どこに行くの?」

「どこでしょうかね」


 村田夢依は、園内にいた黒ずくめの男と一緒に歩いていた。男は傘をさして、雨具のない夢依は彼の傘に相合傘している状態である。


 園内を歩いているのは、彼と夢依の二人だけであった。


「それにしても、君は何でここに? ここはもう、随分と前に閉園になったんですけど」

「……なんとなく」


 母との思い出があるのがここだけ、という事は言わない。でも、なんだかこの男には見透かされている気がする。


「……僕、ここ嫌いなんですよね」

「嫌い?」

「この遊園地、何のために作られたか知ってます?」

「さあ」

「跡取り息子のために作ったんですよ。当の本人は勉強ばっかりで、こんなところには終ぞ連れて行ってもらったことはなかった」


 単純に、息子をダシに新たな金儲けを始めただけであったのだ。あの男の中にあったのは、金と、性欲と、自己顕示欲である。


 誰もいない遊園地を、男と夢依は歩いて進んでいく。やがてアトラクションコーナーを超えて、スタッフエリアへと進んでいった。


「……いいの? こんなところに入って」

「いいんですよ。どうせ誰もいないんですから」


 男は用意がいいのか、懐中電灯を取り出した。薄暗い園内を、ためらいもなく進んでいく。夢依は自然と、男にしがみついていた。寒いし、何より、少し怖い。


「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ。お化けなんていませんから」

「お化け?」

「ここ、お化けが出るって噂があるらしいんです。時々、変な男の声が聞こえるんだとか」


 夢依のしがみつく手の力が強まった。男は満足そうに笑うと、そのまま歩いていく。


 そしてスタッフエリアさえ越えると、とうとう山の中に入ってしまう。山にはロープウェイが付いており、山の上に登れるようになっていた。登った先にあったのは、いくばくかのアトラクションと売店の跡だ。


 そんな山の、中へと男と夢依は入っていった。


「……熊とかでないの?」

「そう言う話は聞かないですねえ」


 男は、この山を含める遊園地に地理に詳しいようだった。実際、何の整備もされていない道だというのに、迷いなく歩いていく。


 そして、歩いていった先に。


 夢依は、見た。


 小さい、家が建っている。それは夢依が暮らしていたアパートよりも小さい。恐らく、ワンルーム。それも、4畳くらいだろう。


「……なに、ここ?」

「ちょっとびっくりしました?」


 男は、へらへらした笑顔を夢依に向ける。その笑顔は、ひどく薄っぺらで、今にもばらばらに引き裂けそうだった。


「……ちょっとだけ、時間をあげます。これから帰るなら、怖くて悲しい思いをしなくて済みますよ」


 男は、夢依の頭に手を当てがった。夢依はしばらくそのままにしていたが、やがて男の手を頭からどかす。


「……いい。行くとこ、ないもん」

「そうですか」


 男はそう言い、踵を返して家へと向かう。夢依も、濡れないように男の傘を追った。


 家のドアをノックするが、返事はない。男は満足そうにポケットからカギを取り出した。鍵を回してドアを開けると、靴を脱ぐ。靴は、男と夢依のほかに、1足だけ、古い靴があった。


 そして、そこにあった光景を、村田夢依は見た。


「おお、おお、おお、おお、おお、おお、おお………………!」


 一人の老人が、乳飲み子のように裸で女の乳にむしゃぶりついていた。だが、その女は銀色の肌をしている。老人はおむつをして、痩せこけて眼球は飛び出ている。だが、下腹部だけは膨れていた。腹水が溜まっているのだ。手足と胸は対照的に、骨が浮き出るほどである。


「おお、おお、おお、おお」


 夢依たちが入ってきたことも気づいていないのだろう。老人は一心不乱に機械の女の乳をしゃぶっていた。涎を垂らしてはいるが、肝心の乳はおそらく出ていない。

 銀色の肌をした女は、老人の頭を抱えるようにしている。乳を飲むときに頭を抱えるという、そういう造りなのだ。


「……この人は……?」

「ふふふ」


 男は、老人の前に座った。老人の眼球が、乳から男の方へと移る。


「どうも。まだまだ元気そうですね」

「おお、おお、おお……」


 老人はうめくが、乳から口を離そうとしない。

 いや、違う。離したくとも離せないのだ。


 その様を、男は笑顔で見つめる。


「おお、おお、おお、おお……!」

「今日はちょっと、ご報告に」


 男はそう言い、夢依の肩にぽん、と手を置く。


「可愛い初孫が会いに来てくれましたよ。嬉しいですよね? おじいちゃん」


 夢依が、男と老人を交互に見やった。


「……え?」


 つまりは。この人は。


 知りたくない現実が、夢依にのしかかろうとしている。


「ちなみに、あなたの娘は、死んでしまいました」


 老人の黒目が縮む。そして、眼球と眼窩の隙間から、涙が流れた。


「……おおおお、おおおおおおおおお……!」


 老人は何かを言いたいようだが、乳をしゃぶる口からは声まがいの音しか出ない。


「そんな目で見ないでくださいよ。僕だって、内心ショックなんですから」


 男は玄関に座って、老人のことなどもう見ない。彼の視線は、まっすぐ村田夢依に向く。


「まさか、先に棗さんが死ぬなんて思ってなかったんですよ。ホントに」

「……ママを知ってるの?」

「――――やっぱり、僕のこと知らないんですね? 一回会ってるんですよ、僕ら」


 男は、そう言ってどこからか仮面を取り出した。黒い中に、赤い紋様が入った不気味な仮面だ。


 男はそれを自分の顔にあてがう。

 その瞬間、夢依の脳裏にかつての記憶がフラッシュバックした。


***************


 それは、今まで住んでいた豪邸を離れなければならなくなった時。泣き喚く母と、狼狽する父。そして、そんなことお構いなしに家財を運び出す黒服の男たち。ついこの間まで自分たちの部下だったのに、どういうわけかすべて奪って去っていったあいつら。


 その黒服の中に、この男はいた。


 彼は、両親に気さくに話しかけていた。


「大丈夫、生きていればその内いいことありますよ」


 それを聞いた父は殴りかかろうとして、黒服たちに逆に袋叩きに遭っていた。


「やめて! パパをいじめないで!」


 幼い夢依は彼の足にしがみついた。彼はその手を優しく解くと、ずい、と顔を寄せる。


「……覚えておくといいですよ。これが、あなたの人生を狂わせた、仇の顔です。もっとも、仮面ですけど」


 その仮面は、笑っているような笑顔を見せていた。

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